つけたり2 椿椿山筆『渡辺崋山像』を見て

主目的といいながら掛川市二の丸美術館の「渡辺崋山とその弟子展」に触れないのもなんぼなんでもひどいので少しだけ。
展示室入ってすぐにあるのは崋山の弟子かつ親友であった椿椿山*1による渡辺崋山の45歳ころを描いたという肖像画。教科書なんかにも使われる有名なやつだが、それを見ながらおじさんと若い女性数人が話をしている。
「なんかちょんまげがすごく小さいですね」
「それは時代劇の立派なまげを見過ぎてるんだよ。実際はきっとこんなもんなんだよ」
違うよ。崋山のマゲが小さいのは、ハゲが進んだせいで、マゲに確保できる分がわずかしかないからだよ。ほら、生え際とか見てごらんよ。これは月代のそりというよりも、明らかに後退によるものだよね。
ん、何やら金縛りが…天の崋山の差し金か…うわ、なんだおまえ、やめr くぁqwせdrftgyふじこ*2

*1:1801-54。旗本の家来の人。崋山の弟子となり、南画家として大成した。肖像画花鳥画を得意とした。

*2:ってもはやネットの世界では伝統芸能化したネタですね。ただ、この文字列はランダムなものではなく、ちゃんと原理原則に基づいたものなのは驚きですがね。yahoo!の知恵袋→http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q147375014

つけたり 悲しみのおっさん

帰りの東海道線車内。
211系5000番台電車*1ロングシートに座りつつ、多少の疲れと揺れの心地よさでうっかりうつらうつらしていた。と、右手から若い女性の高い悲鳴のような声。私の頭が右側に傾いてもたれかかりそうになり、となりの若い、ギャル風の女性の二人組がきゃあきゃあいっているのだった。私が目を覚まして首を上げると他のお客さんの視線が集まってるよ、おい。すげえいたたまれない…
いや、それは俺が悪い。悪いけどさ、なんかさらしものみたいにわあわあ騒ぐことは、ないんじゃないの?別にイケメンでもないし、もはやおっさんの年だし、悪しざまに扱われるのはそういう意味でも当然、だけどさ。はあ。

*1:http://ja.wikipedia.org/wiki/211%E7%B3%BB←リンク参照。今後も鉄道車両が登場するたびに私は車両形式名を入れてしまいますが、テツじゃない方は読み飛ばしてください。形式名を書くことで「わかるかた」には雰囲気をつかんでもらえると思って入れています。

掛川城天守と「葛布」

掛川城再建天守

掛川城跡に行ってきました。表立った目的は付設している美術館*1に私の地元ゆかりの渡辺崋山の絵が多数出ているというからでしたが、城好きとしては、久々の掛川城再建天守と幕末に建設された二ノ丸御殿も楽しみにしていました。
現在の掛川城天守は平成6年(1994年)の再建。残された資料や高知城天守などを参考にして造られた、木造復元天守ということであり、新幹線の掛川駅通過時にご覧になった方もおおいと思います。さて、天守の最上階に上ってみると…ふすま?


前に来た時にはそれほど印象に残らなかったが、ふすま(のようなもの)が天守の内窓の役割を果たしている。ちょうど係のおじさん(おそらく定年後の方だろう)がいたので聞いてみると、「ふすまではなく、くずふ」という。以下、このおじさんと二ノ丸御殿の係のおじさんの話を総合するとこんな感じ。

  1. くずふ=葛布は葛のつるから繊維を取り出して作った布*2。古くは裃などの衣類に使われており、多くの地方で生産されていた
  2. 葛布は現在ではほとんど衰退したが、掛川では地元の特産品となっている。壁やふすまなどの内装や、テーブルクロス、ハンドバックなどを作っている。
  3. 山内一豊*3が16世紀末に天守を創建した際に桃山時代らしい極彩色の絵が描かれていたと想像するが、実際がわからないので、地元特産の葛布を使用して代用することにした
  4. 二ノ丸御殿のふすまは普通のふすまで、葛布製ではない(まあそりゃ江戸時代の建築ですしね)

なるほど。そういうものだったんですね。天守のおじさんはわざわざ葛布の見本も別に見せてくれたので、そういう関心を持つ人もおおいんでしょうね。
ということで、天守から「小崎葛布」と見えていたお店に、天守のおじさんのご紹介もあって行ってみました。

財布やら名刺入れなどの小物から、座布団やのれんや日傘なんかも作ってるんですね。すだれなんかは涼しそうでよさげです。現在でもここでは手織りで作っており、その様子を2階で見せてくれました。木製の足踏み製の手織の機械は、銘板を見ると、掛川「町」の安田製作所が作ったもの。今検索しても昭和30年(1955年)ころ製造の同社製の手織り機が出てくるので*4、同時期くらいのものでしょうね*5。多くの地域では、この手の機械は町の民俗資料館行きだよなあ。今も生きていることに価値がありますよね。下は小崎織布さんにあった葛の糸の染色前後のものです。

なお、これだけ見せてもらいながら、30過ぎの独り者では買ってもいまいち用がないので、ただの冷やかしに終わりました。まあ、人生の具合が変わったときにでもということで。
以上、天守のちいさな装飾から派生した「葛布」の話でした。この手の知識が自分にないので話がいまいち膨らめられなかったのが残念。

*1:掛川市二の丸美術館のこと。http://lgportal.city.kakegawa.shizuoka.jp/kanko/center/BIJYUTUKAN_3.html

*2:なお、根っこの部分がご存じの食用となる。蛇足ですな。

*3:1545-1605、尾張出身の戦国武将にして豊臣・徳川期の大名。守護代重臣の家に生まれながらも15歳で主家が滅亡。流浪の末に自分より出身身分がはるかに低い羽柴(豊臣)秀吉に仕え、武功を重ねてついに掛川6万石の大名に。さらに関ヶ原の戦いでは家康につくとともに巧みに立ち回り、土佐20万石の領主となり、幕末に続く土佐藩の藩祖となった。と書いてみれば、ぼんくら扱いされがちな一豊どのも十分すぎるほどすごい人だな

*4:http://kuzufu.com/job/pg143.html 島田市谷河原にある大井川葛布のページより、1番「葛布織り機」をクリックしてください

*5:銘板は左から右に文字が書いてあったこと、電話番号が3ケタだったこと、また掛川の市制施行が昭和29年などを踏まえても、そんなところと思いました

犬のワルツ

完全に暗くなった午後5時30分ころ、豊橋市藤沢町の路上にて。
私は歩道を歩いていたのだが、ちょうどイトーヨーカドーを出てきた自転車に乗った男子高校生4人組とすれちがった。別に話をしたとか絡まれたとか、何か起こったわけではないのだが、最後尾の男子からすれちがいざまに聞こえてきた歌声に「おっ?」と思ってしまった。
(♩60程度、音はすべて四分音符)
(休)い ぬ の わ る つ(休)
   ド ミ ラ ファ ミ ド
かなり音痴な私の耳コピーだし、絶対音ではもちろんありませんが、これ、なんすか?おどろいて後ろを振り向いたが、街灯に照らされて見える姿は、別に学ランを来た普通の高校生。
声は結構いいバリトンだった。すると合唱部?豊橋界隈ではあまり合唱部が強い高校*1はないがなあ。
とはいえ、しかし路上で「犬のワルツ」と高らかに歌うのはなかなか斬新。出典がわかるかたは是非とも教えてください。

*1:西三河では岡崎高校という全国合唱コンクール常連校があるが、岡崎の子が豊橋のしかも渥美半島寄りの地域にはまず来ません。

セイタカアワダチソウ(2)

下は11月12日昼、豊橋市町畑町の歩道脇の小さな空き地で見つけた光景。いつもなら周囲を押しのけて結構な高さまで繁茂するセイタカアワダチソウが、こんなつつましく雑草の一部になっている。これは先に書いたような、セイタカアワダチソウが地中50cm前後の養分を吸ってしまったということか、それとも、この空き地の地中の深さが浅い(すぐコンクリートにつきあたるのか)、定点観察しているわけではないのでわからないが、ちょっと面白い感じでした。

自分に関わりないが気になること

久しぶりに資格試験を受けてみました。
形式は論述試験6科目。1時間20分で数題を合わせて2,000字程度を書かなければいけない試験を6回続けたわけで、ただでさえ知識が曖昧なうえに、試験時間が問題数の割に短いため書き淀んでいたらアウトなのでとにかく書きこみましたが、完全に撃沈しました。いやあ、日頃から文章を書く訓練をしておくこと、いやいや、アウトプットそのものをもっとするべきですね。ついでに、大学生のうちにとっておけばこんな苦労はしなかったのに。
とちゅう体力が尽きてきたうえに、目の前の試験監督の結構美人のおねえさんのふとももがむちむちで、パンツがぱつんぱつんになっているのがどうにも気になり、集中力に差しさわりがでました。ああ、煩悩。
…いやいや、言い訳っすね。
気になるといえば、土曜日にAMのNHK総合から流れてきた話によると、慶応大学病院でお医者さんをしている向井万起男先生は、散髪をご自分でなさっているらしい。あの髪形を、ご自分でお手入れ…!?ちなみに向井先生は、宇宙飛行士の千秋さんの旦那さんです。お名前も髪形をご存じない方はググってみよう。ちなみに私は向井万起男先生のことは、医者であること、先ほど書いた千秋さんの夫であることと、髪形と口ひげのことしか知りません。あとはマンガの『宇宙兄弟』に出てくるJAXAの理事長がまさに向井先生そっくりくらいなこと(マンガを見た時には吹きました。私の中では、むしろ『宇宙兄弟』の理事長氏のイメージが勝手に向井先生にまとわりついています)。

現職国立大学准教授が描く日猶同祖論

mixiの某氏のページで見たのだが、国立大学(のはず)の鹿児島大学の准教授・大塚清恵氏の論文がいろいろすごいらしい。まあ、ユダヤ人と日本への3世紀から5世紀の渡来人が同一であるというのも驚きだが*1、「まじめな*2」引用元が2ちゃんだったり、ウィキペディアだったりするのもちょっとすごい。
(以下、鹿児島大学研究紀要)
http://ir.kagoshima-u.ac.jp/handle/10232/4363
http://ir.kagoshima-u.ac.jp/handle/10232/9161
そして、ホットな話題なのか既にあちこちで取り上げられたりしてるようですね。
http://pchannel.net/wthre/2103145.html
http://www.nicovideo.jp/watch/sm12583017
いや、何が正しいかなんてわかりゃしませんが、とりあえず、学問的じゃないでしょ、これ。この先生のゼミ生の話を聞いてみたいところです。ああ、びっくりした。

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それとも、これって壮大な釣り?大塚先生は教育学部の先生のようだが、この論文を大学紀要に公開すると、どういった反応が見られるかを研究なさっているとか?いや、そうとしか思えないというか、むしろそう思いたい。ちなみに、一番のご専門は日系アメリカ文学論なんですね。

*1:こういう言説はときどき流行するのだが、国立大学の正教員が唱えたことってあったんでしょうか

*2:ここで「まじめ」という言葉で除外している対象は、社会学や心理学が社会現象やネット上の心理の分析に用いるようなことなどです