掛川城天守と「葛布」

掛川城再建天守

掛川城跡に行ってきました。表立った目的は付設している美術館*1に私の地元ゆかりの渡辺崋山の絵が多数出ているというからでしたが、城好きとしては、久々の掛川城再建天守と幕末に建設された二ノ丸御殿も楽しみにしていました。
現在の掛川城天守は平成6年(1994年)の再建。残された資料や高知城天守などを参考にして造られた、木造復元天守ということであり、新幹線の掛川駅通過時にご覧になった方もおおいと思います。さて、天守の最上階に上ってみると…ふすま?


前に来た時にはそれほど印象に残らなかったが、ふすま(のようなもの)が天守の内窓の役割を果たしている。ちょうど係のおじさん(おそらく定年後の方だろう)がいたので聞いてみると、「ふすまではなく、くずふ」という。以下、このおじさんと二ノ丸御殿の係のおじさんの話を総合するとこんな感じ。

  1. くずふ=葛布は葛のつるから繊維を取り出して作った布*2。古くは裃などの衣類に使われており、多くの地方で生産されていた
  2. 葛布は現在ではほとんど衰退したが、掛川では地元の特産品となっている。壁やふすまなどの内装や、テーブルクロス、ハンドバックなどを作っている。
  3. 山内一豊*3が16世紀末に天守を創建した際に桃山時代らしい極彩色の絵が描かれていたと想像するが、実際がわからないので、地元特産の葛布を使用して代用することにした
  4. 二ノ丸御殿のふすまは普通のふすまで、葛布製ではない(まあそりゃ江戸時代の建築ですしね)

なるほど。そういうものだったんですね。天守のおじさんはわざわざ葛布の見本も別に見せてくれたので、そういう関心を持つ人もおおいんでしょうね。
ということで、天守から「小崎葛布」と見えていたお店に、天守のおじさんのご紹介もあって行ってみました。

財布やら名刺入れなどの小物から、座布団やのれんや日傘なんかも作ってるんですね。すだれなんかは涼しそうでよさげです。現在でもここでは手織りで作っており、その様子を2階で見せてくれました。木製の足踏み製の手織の機械は、銘板を見ると、掛川「町」の安田製作所が作ったもの。今検索しても昭和30年(1955年)ころ製造の同社製の手織り機が出てくるので*4、同時期くらいのものでしょうね*5。多くの地域では、この手の機械は町の民俗資料館行きだよなあ。今も生きていることに価値がありますよね。下は小崎織布さんにあった葛の糸の染色前後のものです。

なお、これだけ見せてもらいながら、30過ぎの独り者では買ってもいまいち用がないので、ただの冷やかしに終わりました。まあ、人生の具合が変わったときにでもということで。
以上、天守のちいさな装飾から派生した「葛布」の話でした。この手の知識が自分にないので話がいまいち膨らめられなかったのが残念。

*1:掛川市二の丸美術館のこと。http://lgportal.city.kakegawa.shizuoka.jp/kanko/center/BIJYUTUKAN_3.html

*2:なお、根っこの部分がご存じの食用となる。蛇足ですな。

*3:1545-1605、尾張出身の戦国武将にして豊臣・徳川期の大名。守護代重臣の家に生まれながらも15歳で主家が滅亡。流浪の末に自分より出身身分がはるかに低い羽柴(豊臣)秀吉に仕え、武功を重ねてついに掛川6万石の大名に。さらに関ヶ原の戦いでは家康につくとともに巧みに立ち回り、土佐20万石の領主となり、幕末に続く土佐藩の藩祖となった。と書いてみれば、ぼんくら扱いされがちな一豊どのも十分すぎるほどすごい人だな

*4:http://kuzufu.com/job/pg143.html 島田市谷河原にある大井川葛布のページより、1番「葛布織り機」をクリックしてください

*5:銘板は左から右に文字が書いてあったこと、電話番号が3ケタだったこと、また掛川の市制施行が昭和29年などを踏まえても、そんなところと思いました