昭和22年に豚を博多から大阪まで輸送する方法について考える

かなり久々で、もはやだれも読んでいないと思うがこそっと。
ゲゲゲの女房』以来仕事の昼休みに朝ドラを観るのが小さな楽しみとなっておりまして、『ごちそうさん』も楽しくみておりました。
さて、観ていた方には表題は最終回のこととわかると思います。主人公のダンナ・悠太郎が博多(近辺)から大阪まで子豚を持って帰るのですが、昭和22年の夏にそんなことが可能なのでしょうか?そこまで調べていませんが、いろいろ考えてみました。まず、当時の輸送手段は間違いなく鉄道。もっとも客車の中には豚はまず持ち込めません。特に当時は石炭が足りないことから列車の本数が極端に少なく、幹線の山陽本線は間違いなく高乗車率。豚など持ち込んだらはじきだされそうです。ただし、手段は二つあります。
家畜車に便乗させてもらう
当時、家畜は農協などが家畜車と呼ばれる家畜専用の貨車をチャーター等で確保し、付添い人をつけて貨物列車で大都市の市場まで輸送するということが行われていました。私の地元は愛知県の郡部ですが、やや後ながら昭和30年前後には東京の市場まで豚を家畜車で出荷していました。
おそらくこの輸送方法が一番可能性が高いでしょう。悠太郎としては、博多駅で大阪方面行の家畜車を見つけ出し、付添い人に金を握らせて自らの子豚の便乗を依頼すればよいのです。この時期にはまだまだゴタゴタしていて管理はゆるいので、たぶんこの程度のことは難しくありません。
問題はこの時期に九州から大阪に豚を出荷するかということと、下に書いたように養豚業がそもそもこの時期どん底なことですが。
イ 鉄道手小荷物扱いとする
昭和61年(1986年)まで国有鉄道、その後国鉄は手小荷物を列車の後方などにある荷物車で輸送するサービスをしていたわけだが、この扱いで運んでしまう。幸い子豚なので、木箱に入れておいてしまえる。もちろん荷物扱い車掌(いわゆるニレチ)を抱き込む必要はある。ただ、輸送時間が10時間以上となるため、暗閉所、しかも激しく揺れる場所で子豚にかかるストレスが相当になることも懸念される。
ウ そもそも日本に豚があまりいなくなっていた問題
http://www.jppa.biz/pdf/1.pdf#search='%E6%98%AD%E5%92%8C20%E5%B9%B4%E4%BB%A3+%E8%B1%9A'
(丹羽太左衛門著『20世紀における日本の豚改良増殖の歩み』日本養豚協会、2001の序論)
上記リンクをたどると、戦後養豚業はいちじるしく衰弱し、昭和21年には88,000頭しかいなくなっていたという。もちろん戦後すぐなので把握されていない数(例えばヤミ)が相当数いただろうが、まさに養豚には冬の時代だった。この時期に豚を確保することができたのかが、いくらコネがあったとしても気にはなる。
こんなとこでしょうか。もう少し検証してみたいですかね。