「トラが人間を食べるのと同じだ」−中国高速鉄道の事故

<以下のように書きましたが、いわゆる知者な方に聞いたところ、女性が「トラが人間を食べるのと同じだ」と『礼記』の苛政は虎よりも猛なり」が連結するかどうかは定かならずと返答されました。以下は、あくまでAboshiの独自見解(または思い込み)となります。>

中国浙江省・温州で起きた中国高速鉄道の事故の犠牲者の方々におくやみ申し上げます。そして、中国政府の「くさいものにはフタ(たとえそこに多くの人命があろうが)」という姿勢に怒りを表明します。
さて、下のようなニュースがありました。

[温州(中国) 29日 ロイター] 中国浙江省で起きた高速鉄道事故の遺族が初七日にあたる29日、遺体安置所に集まり犠牲者の供養を行った。安置所を訪れた遺族らは、鉄道省が事故を引き起こしたとして、同省に対する怒りをあらわにした。
夫を亡くした女性は「彼に叫び続けたが、返事はなかった。妻と息子を置いて、逝ってしまった」と声を詰まらせ、「なぜこんな事故が起きたのか。高速列車になぜ欠陥があったのか。トラが人間を食べるのと同じだ」と涙ながらに訴えた。
この女性は高速鉄道に乗車中の夫と電話で話したといい、夕食までに帰ると約束してくれたという。10代の息子を亡くした母親は、火葬が終わると気を失い、親族が手を差し伸べていた。*1

少し耳に残ったのが「トラが人間を食べるのと同じだ」。中国人がトラを引き合いに出すのはよくあることなのですが、ちょっと文脈から唐突の感もあります。これは出典があるからで、まぎれもなく『礼記』檀弓下の「苛政*2は虎よりも猛なり」でしょう。高校の国語の教科書などにもよく掲載されているので、ご存じの方も多いかもしれません。こんな話です。

孔子が泰山の傍らを過ぎると、女性が大きな声で泣いている。弟子に理由を聞かせると、自らの舅、夫、息子が人食い虎に殺されてしまったという。孔子が「人食い虎がいるのに、なぜあなたはここを去らないのか」と聞くと、女性は「『苛政』がないから」と答えた。孔子は弟子に向かい、「覚えておけ、苛政は虎よりも無慈悲なものなのだ」と言った*3

この夫を失った女性(というところまで孔子に出会った女性に似ていますが)は、「トラ」という単語を使い、有名な説話にことよせてかなり辛辣な政府批判(=今の政府は「苛政」である)をしたわけです。これだけでも、今回の件がただごとでないと思わずにはいられません。ここしばらくの中国で、被害者の怒りの声が表にこれだけ露わになったことはなかなかないはずです。もっとも、遺族としても国際的に話題にすることでしか彼らの正義を通すことはまずできない(自らの存在をマスコミにさらすことで、一身へのリスクを減らすこともできますね)わけで、海外マスコミの前で必死になるのは当然ですが。なるほど、虎を追い詰めるのも大変なことです。
さて、以上を踏まえると私は「トラが人間を食べるのと同じだ」は少しだけ誤訳のようにも感じています。原典に忠実なら「トラが人間を食べるよりもひどい」でしょうか。もっとも、ニュアンスの多少の違いともいえるでしょうが。ついでにいうと、ロイターの記者が、女性の発言は「苛政は虎よりも猛なり」を引いていることに気付いたのかも少し興味があります。

*1:http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-22443620110729 ロイター 2011年7月29日

*2:苛政は血も涙もない、無慈悲な政治のことを指すと考えてください。

*3:書き下しはWeb漢文体系を参照→http://kanbun.info/koji/kasei.html