19世紀初頭の「胡蝶砲子=蝶の砲弾」ってどんなのよ?

私はただいま渡辺崋山(1793-1841)が仕えていた三河国田原藩の地元、現在の田原市に住んでいることもあり、地元の崋山の手記などの輪読会に参加している。その内容の多くは画帖であったり漢詩だったり、旅行時の聞き書きなど、まさにメモ。そのうちのひとつ、天保7〜9年(1836−38年)に書かれたと見られる『客退紀聞』は、主にオランダの史書等を翻訳した内容と考えられているが、その中ににわかに漢文が挟み込まれている。出典を探すと、清朝期の考証学者・阮元(1764-1849)の著述『揅経室三集』巻2所収の「記蝴蝶砲子」とほぼ一致した。
阮元は江蘇省儀徴県の出身で、字は伯元。先に書いたとおり考証学者として高名だが、有能な行政官でもあり、30代の若さで各地の巡撫(省の長官)や総督(複数の省の長官)を歴任して治績を挙げ、内閣大学士まで昇りめている。
嘉慶5年(1800年)6月、浙江巡撫(省の長官)であった阮元は、安南の海賊を浙江省台州府の松門で撃破*1し、大砲と砲弾を鹵獲した。「記蝴蝶砲子」には、その砲弾(蝴蝶砲子)の構造を記すとともに、試造・試射を行ったことが記されている。族弟・阮享によると、阮元はこの年の秋、鹵獲した大砲を水師(軍船か?)に設置し、「正威砲」と名づけて銘文を刻した(『瀛州筆談』)。現代の研究者である王章濤は、「記蝴蝶砲子」が書かれたのは同時期ではないかと推定している*2
まじめくさった説明ですいません。気になるのは、この砲弾のちょっと珍妙なところ。以下に例によってAboshiの拙書き下しと訳を入れておきますね。

<原文>
記蝴蝶砲子

嘉慶五年、余破安南夷寇于浙江台州之松門、獲其軍器。其砲重数千斤者甚多、其銅砲子圓径四五寸。又有蝴蝶砲子、戦時得之。其子以兩半圓空銅殻、合為圓球之形、両殻之中、以銅索二尺連綴不離蟠。其索納入両殻而合之、鎔鉛灌之、鉛凝而球堅矣。以球入砲、砲發球出、鉛鎔殻開、索連之飛舞而去。凡遇戦船、高檣帆索、無不破断者矣。余仿其式造甚良。姑記之、以廣武備之異聞。

<書き下し>
蝴蝶砲子*3を記す

嘉慶五年*4、余 安南夷寇*5を浙江台州の松門*6に破り、其の軍器を獲。その砲 重さ数千斤*7なる者甚だ多く、其の銅砲子の円径*8は四五寸*9。又た蝴蝶砲子有り、戦時に之を得。其の子 両半円の空銅殻を以て、合わせて円球の形と為し*10、両殻の中、銅索*11二尺を以て連綴(れんてつ)*12して離蟠*13せず。其の索 両殻に納入して之を合わせ、鎔鉛之に灌(そそ)ぎ、鉛凝(こ)りて球堅し。球を以て砲に入れ、砲発し球出ずるに、鉛鎔けて殻開き、索 之に連なりて飛舞して去る。凡そ戦船に遇うに、高檣*14帆索*15破断せざる者無し。余 其の式に仿(なら)って之を造るに、甚だ良し。姑(こころ)みに之を記し、以て武備の異聞を広めんとす。

<解釈>
嘉慶5年6月、私・阮元は安南の海賊を浙江省台州府の松門で撃破し、その兵器を鹵獲した。大砲の重さは数千斤のものが最も多く、砲口の直径は13〜16cm程度、また蝴蝶砲子という砲弾も戦時に得た。砲弾の弾殻は銅製で、内部が空洞となっている2つの半球を合わせるようになっていて、64cm程度の綱状の銅によってつなぎあわされ、中に熱して液状化した鉛を注ぎ込む。鉛は(自然に冷えて)凝固し、砲弾は堅くなる。この砲弾を大砲で発射すると、鉛が(熱で?)融解して弾殻が開き、銅の綱がむき出しになって飛んでいく。これが被弾した船舶は、帆柱、帆やロープがみな破壊されてしまう。
私はこれをまねて蝴蝶砲子を製造したが、とても出来がよかった。私はひとまずこの変わった兵器のことを記して、世に広めることとする。

ざっといって、鉛の融点(327.46℃)が銅の融点(1084.4℃)よりも低いことをうまく使った砲弾ってことか。銅の弾殻の中に銅の綱を入れ、中に鉛を溶かしこみ、冷やして砲弾完成。そして大砲発射時の熱?で鉛が溶けて銅の綱がむき出しになり、相手の軍船の設備に突き刺さってダメージを与える(人間への殺傷力もありそうだが)。また、2尺=64cmほどの銅の綱ってのも直径13〜16cmの方向に納まる砲弾に内蔵されてるわけだから、折れ曲がって内蔵されているのだろうか。
この砲弾は、榴弾のように金属片でダメージを与えるのが目的でいいのでしょうか?本当にこの原理で砲弾が実用できるのかわかりませんが、阮元はおそらく原理を自ら(+幕僚たちと)考えたり、捕虜の海賊から尋問するなどして、実際に製造して成功させたんですよね。また、「蝴蝶砲子」というネーミングも、銅の綱が飛んでいくさまから命名したということでいいのかな。今の花火「蝴蝶砲」とは別物ということでいいのかな。また、工夫を凝らしたこの砲弾も、榴弾が一般化してしまえば、もはやただのあだ花ということで広まらなかったのかな。
うーん、この砲弾の実際のイメージが浮かばない。詳しい方はぜひともご教示を。また、何かこれを読んでインスピレーションがあった方もぜひともご意見くださいませ。

*1:『清史稿』巻364 阮元伝

*2:王章濤著『阮元年譜』(黄山書社、2003)

*3:蝴蝶 蝶のこと。『荘子』の「荘周、夢に胡蝶と為る」の胡蝶と同義。なお、「砲」は実際には異体字(石+馬+交)が使われている。なお、現在中国で「蝴蝶砲」といえば、火花を出しながら螺旋状に舞い上がっていく小さな花火を指すようだ。YouTubeを見ると、こんなのがある→http://www.youtube.com/watch?v=AiGuhhRGTQE

*4:1801年

*5:詳細は未確認だが、ベトナム系海賊のことか?

*6:浙江省台州府松門。現在の浙江省台州広域市の温嶺市松門鎮。東シナ海の沿岸部。

*7:清朝期の1斤=596.8gなので、その数千倍の重さか?なお、「記任昭才(『揅経室三集』巻二所収)」によると、阮元が鹵獲し、軍船に搭載した「安南大銅砲」は重さ二千余斤であったことから、1t強くらいの重さか?

*8:砲口の直径

*9:清朝期の1寸=3.20cmなので、その4〜5倍の幅

*10:弾殻の構造を示している。銅製の2つの半球は、中が空洞になっている。この2つを合わせて球の形とする。

*11:索はロープを指すので、ここでは銅の綱状の者を想定すればよいのか?

*12:つなぎ合わせることか。「綴」には「つづる、つらねる」等の意味がある。

*13:離れたりわだかまったりすること

*14:帆柱

*15:帆やロープ