華と夏と漢?(章炳麟)

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先日、調べ物でA知大学図書館へいったついでにちょっと「華夏族」絡みを見ようと思ったが、うっかり書棚にあったマンガの『紅色のトロツキー』を読んでいたらはまってしまって、気がついたら外は真っ暗…だって面白いんだもん、というか大学にマンガを置かないでよ(というまえに自分の意思の弱さを問題にすべきだが)。
さて、ということでほとんどこの問題を調べていないのですが、初歩の初歩として諸橋大漢和*1華夏族を見てみました。そのほとんどが民族の美称扱いだったが、章炳麟(1869-1937)の『中華民国解』を引いていたのがちょっと興味をそそる内容でした。章炳麟は清末民初の思想家・革命家。学者としてははば広い分野に業績があるが、今回に関係ある部分としては中国革命への理論づけをした人物であることが重要。孫引きになってしまうが、本文とAboshiによる書き下しを以下に示しておきますが、品質の保証はしませんので、気になる方は原文を当たってください。

『大炎文録・中華民国解』より
我国民族旧居雍梁二州之地、東南華陰、東北華陽、就華山以定限名其国土曰「華」。其後、人跡所至徧及九州、華之名始広。華本国名、非種族之号。夏之名実因夏水而得、本在雍梁之際、因水以名族。非邦国之号。漢家建国自受封漢中始、於夏水則為同地、於華陽則為同州、用為通称、適与本名符合。是故華云、夏云、漢云、随挙一名、互摂三義、建漢名以為族、而邦国之義斯在、建華名以為国、而種族之義亦在此。

我が国の民族 旧くは雍梁*2二州の地を居とし、東南は華陰、東北は華陽、華山*3に就きて以て限りを定め、其の国土を名づけて曰く、「華」と。其の後、人跡の至る所徧く九州*4に及び、華の名始めて広がれり。華は本より国名にして、種族の号に非ず。夏の名 実に夏水に因りて得、本より雍梁の際に在り。水に因りて以て族を名づく。邦国の号に非ず。漢家国を建て、漢中に封を受けて自り始まり、夏水*5を則ち同地と為し、華陽を則ち同州と為し、用いて通称と為す。適(たまた)ま本の名と符合し、是れ故に華と云う、夏と云う、漢と云う、一名を随挙するも、互いに三義を摂す。漢名を建てて以て族と為すも、邦国の義斯に在り。華の名を建てて以て国と為すも、種族の義亦た此に在り。

ざっと読んだ段階なので、私自身がよくわかっていない部分が多々あったりするが、重要なのは「もともとは華は国名、夏は民族名、漢は漢中が故地であるための名」といっていること。『大漢和』を見る限りではこういうことを章炳麟以前に言っている人物はいない。3世紀後半に編纂された正史・『三国志』には「華夏」の名が結構現れるのだが、「(関)羽の威、華夏を震わす」のような地域(ここでは中原を指している*6)概念ばかりだし、そもそも前回の引用に混ざっていたことだが、『尚書正義』の「華夏の解釈」である「冕服采章對被髮左衽則為有光華也。釈詁云う、「夏」は大なりと。故に大国を「夏」と曰う。「華夏」は中国を謂うなり」を無視するのか?唐の大学者・孔頴達を否定するのか?いよいよわからん、というかこんな中途半端な首の突っ込み方にしては沼が深すぎるな、これは。

*1:諸橋轍次(1883-1982)が中心となって編纂した『大漢和辞典』の通称。昭和35年にひとまず完成されているが、その後も語彙辞典や補巻が出ている。世界最大規模の漢和辞典である

*2:周代にあった国名。都は現在の陝西省韓城県の南、故の少梁城。秦に滅ぼされた。のちに戦国時代の魏が大梁に遷都したのち「梁」がその別称となるが(例:『孟子』に登場する「梁の恵王」)、これとは異なる。

*3:五嶽の西嶽。陝西省華陰県の南

*4:中国の古代に、全土を分けて9つの州としたもの。『日知録』巻22に見える。『爾雅』釈地は殷代に両河間を冀州、河南を豫州、河西を洛州、漢南を荊州、江南を揚州、済・河間を兗州、済東を徐州、燕を幽州、斉を営州と分けて、しめて九州であったとする

*5:『大漢和』は江陵〜華容〜江夏に流れる川を出す。現在の名は長夏河。ただし地理的条件がここで指すものとは一致しない

*6:219年、劉備配下の関羽は魏の曹操が実効支配する荊州北部に侵攻した。この迎撃にあたった将軍・于禁の軍を撃破し、于禁本人までも捕虜とするなど猛威をふるった。このときに魏の領土であった中原の人々が関羽の威勢を恐れたことをいう。『三国志』蜀書・関羽伝より