「若返りの水」と学芸会

某小学校の学芸会を少しだけみてきました。いつの間にか学芸会のシーズンが3学期から2学期になってるんですね。
さて、5年生の演目は「若返りの水」。久しぶりに小学生の演技を見たが、器用なもんですねえ。自分の小学校のころ、あんな気のきいたアクションやリアクションができたとはとても思われないなあ。
それはさておき、ストーリーがちょっと面白い。
バブル崩壊に伴う経済の崩壊を立て直すために、殿さまは老人を切り捨てることを決断した。そこで、高札のたもとに置かれた石を持ちあげられない老人を山に棄てるように村人に命令する。殿さまの無茶な命令に『先代の殿さまは慈悲深かったのに、志村の殿さま*1になってからは無茶苦茶じゃ』と嘆きつつも、命令に逆らったら打ち首との殿さまの命令に逆らえずに自らの父母を山に棄てる。ところが、ある一家は父母をお地蔵さまのたもとの洞穴に匿おうとしたところ、その洞穴から出る湧水を飲んだ父母はみるみる若返り、父などはまるでキムタクのよう。そして、当然のように軽々と石を持ちあげた。他の村の老人たちもこれを知り、みな若者となってしまった。
これを知った殿さまは『わしの所領で出たものはわしのもの』の理屈のもと、水をひとりじめにし、自らとお気に入りの家臣だけでたらふく水を飲んだところ、なんと赤ちゃんになってしまった。村人は『よくばりが過ぎたのじゃ』とばかにしながら赤ちゃんになった殿さまたちを蹴飛ばすのだった」
現代風のアレンジが程良く効いており、しかも30代から40代であろう親御さんによく受けそうな感じ。いやいや、学芸会が親御さんへの慰安という側面を持つことは、よいことだと思いますよ。
ところで、この話は私の知っている『若返りの水』とずいぶん違います。「善良なじいさまが偶然見つけた泉の水を飲むとみるみる若返る。そのじいさまを見て驚いた欲張りばあさまは、たらふく水を飲んだために赤ちゃんになってしまった。じいさまは仕方なくばあさまをあやしながら道を帰る」といったくらいのストーリーだった記憶があります。たしか谷川俊太郎作詞の合唱曲もこのくらいの筋書きだったはず。
うーん、これって「若返りの水」に姥捨山に横暴な殿さまを掛け合わせて、全く別の反権力モノを作り出していませんかね。「若返りの水」なんて日本中にあるおとぎ話なので、江戸時代にどこかの地方でこういう類型があったというなら申し訳ないのですが、なにやら戦後のある時期に無理に「殿さまが悪い」という筋書きに翻案したようなにおいがプンプンします。逆に、おそらく今の先生がこんな話にしたのではないはずです(一部の無邪気な改変からは、そこまで根深い意識はないように思われます)。なんでも殿さま=権力者が悪いという筋立てに、何かしらの強い意図を感じます。「姥捨山」の取り込みに至っては、歴史的には殿さまが命じて老人を山に棄てたわけではないので、とんだとばっちりです。
子供の学芸会をどうこう言うつもりなど毛頭なく、楽しく見せてもらった立場でなんなのですが、ちょっとひっかかるものを感じたので、書いてみました。

*1:江戸300藩の大名当主には志村氏はいない。ただし城持重臣クラスとしては、出羽山形の最上氏の重臣で酒田城主であった志村氏が挙げられる。そういえば関ヶ原の地方戦で直江兼続から長谷堂城を守り抜いた志村光安(?-1609)は一時的に有名になっているのかな。以上どうでもよいマジコメ。