うん百年後へ思いを伝えるってか?

中日ドラゴンズの井上が引退するニュースをどこのネットニュースもトピックスで扱っているのが結構うれしいAboshiです。好きな選手でした。おつかれさまでした。
さて表題はといえば、我が家のDVDレコーダーに映画の2006年版『時をかける少女』を録画したまま*1うっちゃっていたのをを思いだし、連休中に観賞した件でございます。観賞した感想は…ああ、これは激しく萌える*2アニメだったんだ。主人公の女子高生・真琴がよくいえばバイタリティに溢れ、わるくいえば直情径行、ないし発想が幼い、またはアホ*3なのも、後付けながらそう考えれば納得*4。いや、皮肉っぽい物言いになっちゃいましたが、私にはとてもよいものでした。挿入歌の「変わらないもの*5」も素晴らしく映画にぴったり。風景描写もやや話にあざとく連絡しすぎ、と思いつつもとても美しいし。いやはや、数日経っても頭が「時かけ」モードから解除されません。
それはさておき、ストーリー上の仕掛けとして「数百年前の歴史的大戦争と飢饉の時代に描かれた絵(東京国立博物館に勤める真琴の叔母の学芸員の曰く、長く観ているとゆるやかな気分になる不思議な絵。*6)」というものがあり、遠い未来から来た真琴の友達の男子高校生はそれを見るために時を越えて現代まで来ている。ところが、結局その同級生は目的の絵を見ることなく、真琴は「未来で見て」と告げて彼を未来に返す*7。そして真琴はその絵を守っていけるような将来(学芸員?)を目指す。いやあ、学芸員養成映画、または文化財保護を目指す映画っすか(違?*8?いやあ、人の思いを伝えるのが歴史ですねえ。
いやまあ、青春ものストーリーとしては主人公がアホであることを差し引いてもそれでいいんだろうけど、うん百年*9先に責任を持つことへのすさまじさ、重さを思うと、私はぞっとせざるを得ませんでした。生きている間に、学芸員としてその作品を世に出す、美術研究家・または歴史家として評価する、文科省の役人として文化財指定をかけて散逸防止を図る等の目的が果たせたとしても、死んだ後のことに責任を持つのは大変に難しい…だって、先人の思いをくみ取る取捨選択をするのは、あくまで未来の人の価値観なんだから。逆に、未来からの彼の「あの絵が見たい」という思いは今の我々にわかるすべはない。もし真琴が意思貫徹して大学にいったとしたら、どこかで気がついてどつぼの恐怖に陥るな、これは。 "Time waits for no one.←(゚д゚)ハァ?*10"という言葉とともに。そう思って映画を見直していたら、未来からの彼の別れのセリフ「未来で、待ってる」という言葉がすさまじくせつないものに思えてきた…あれ、未来からの彼はわかってるんじゃないか。もしやこれは制作者の狙ったところか?
いや、映画はいいか。これに改めて恐れおののくべきは、現実に生きる俺だな。
まあ、全てがひっくり返るツッコミをすれば、東京国立博物館に展示されたのなら、その時点で間違いなくデジタルデータを取ってるだろうけどね。きっと未来から来た彼はそれでは満足できなかったということにしておきましょう。

*1:2006年7月15日公開。98分。細田守(1967-)監督のアニメ作品。配給は角川。私が今回観たのは2008年7月にフジテレビが放送したもの。

*2:Aboshiはアニメやマンガのおたくではなく、深く「萌え」を考えたこともないので表現を正しく使えていない危険あり。ただし、ググると『時かけ』=「萌えモノ」分類をそれなりにみかけるので、このままいきます

*3:一応クラスメートに医学部進学を目指す子がいるような高校だろとツッコミをいれたくなるが。

*4:今年9月11日にNHK BSの「トップランナー」で監督の細田守が出演していたのを偶然観ましたが。そこで氏は主人公のキャラクタ設定の理由を説明していました。それによると、原作及び実写映画版(1983年、主人公は原田知世)では主人公は物静かな少女だった。ただ、1980年代には我々(細田は1967年生まれ)は21世紀を世界の様々な問題が人間の英知によって解決されているような、希望に満ち溢れた未来を想像できた。ところが、いま21世紀になってみると、解決されると思い込んだ課題は依然として存在している。こんな世の中で、我々が未来を最も感じさせるのは、元気な少女たちではないか、とのことでした。ややうろおぼえなので間違っていたらすいません。なお、私が「時かけ」を見ようと思ったのはこの番組を見て、「そういえば『時かけ』録画したっけ」と思いだしたせいです。

*5:作詞・作曲・歌 奥華子(1978-)、編曲 佐藤準(1955-)

*6:仏教画?モデルはなんだろう

*7:私がストーリーの説明をしていないので本文では書かなかったが、実は真琴が数日程度「耐える」だけで未来から来た男子高校生、千昭は絵を見ることができた。本文で後述するように、そのことで千昭が絵を見られる可能性のバーがとんでもなく上がっているわけで、私自身はこの結末に疑問符が十個くらいそこで上がってしまった。せっかく萌えてたのに(かなり不満)。

*8:という割には学芸員の叔母は平然と古書籍と思われる本の上に紅茶入りティーカップを置いたりするのだが。東京国立博物館、クレームだした?

*9:筒井康隆(1934-)の原作(1967年発表)は600年先だったが、本作では明示されていない

*10:ストーリー上のかぎとなる言葉。真琴が時間移動の力を得た理科室の黒板に書かれている