浜名湖西の山々と大知波峠廃寺跡

<今回は土地勘がないとかなりわかりにくい内容になっています。よろしければ静岡県と愛知県の境あたりが細かく掲載されている地図をご覧になりながらお読みください>
今日は後藤建一*1著『日本の遺跡22 大知波峠廃寺跡』*2を読んで、いてもたってもいられなくなり、この廃寺跡へ行ってきました。
この寺は浜名湖西にある山々の中にはりめぐらされた*3街道の一つ、豊川道*4の峠にありました。奈良時代から平安時代の11世紀後半、一度廃絶がありその後は15世紀後半まで続いたと考えられる山寺です。山寺といっても湖西の山々は300メートルから450メートル程度の山で、しかも道はついているので人里離れているということもありません。この山地にはほかにも石巻神社、普門寺等の宗教施設もあり、信仰の拠点だったそうです。
なお、この廃寺の存在は全く知られておらず、1970年代に地元の住民が灰釉陶器碗や瓶類を拾ったことによりようやく山寺の存在を把握、1986年から2001年にかけて発掘と周辺の伝承の調査を並行して行い、石垣や庭園を伴った大規模な寺院の存在が確認されました。2001年にが国の史跡に指定されています。なお、伝承の調査でも大知波峠廃寺に関連すると思われるものは1件しか出てこず、本当にうずもれた寺院だったようです。
近所の山がそんなことになっていたなんて、ほとんど知らなかった。とりあえず豊橋駅で買ったサンドウィッチとともに東海道線天竜浜名湖鉄道を乗り継いで知波田駅で下車、アスファルトの道を50分、豊川道であった山道を35分程歩いて現地に到着。うっそうとした木々の中からにわかに開けた空間が広がったが、ああ、こりゃすごい。
山中の尾根を利用して寺院跡の礎石や石垣、庭園跡が広い面積を占め、しかもわかるように整備されている。これはいい整備だ。そして眼下に広がる山と浜名湖。1,000年前にここに住んでいたおっさま方もこの景色を見ていたんだなあ。前出の『大知波峠廃寺跡』によると、修行だけでなく地元の住民の信仰の拠点となっており、法会なども行われたとのこと。ああ、知らない歴史だったなあ。
その後、豊川道伝いに本坂峠まで下り、さらにふもとの嵩山の集落から数キロ歩いてバス停に行き*5豊橋駅まで戻りました。寺跡でまったりしたので徒歩の時間が占めて5時間程度かかりましたが、山道が笑ってしまうほど整備されていたので正直どこぞの山城跡*6などよりはるかに楽でした。ハイキングという理由で山に入ることは私はほとんどないのですが、ハイカーが多いんでしょうねえ。



*1:1957-、湖西市教育委員会に勤務。市役所の担当者として大知波廃寺の発掘に従事。

*2:2007、同成社

*3:なんとなく知っていたのですが、山の中をいくつもの街道が縦横に走り、そのうちでも鎌倉街道は普門寺の裏山、標高300メートルを超える船形山の袖を通っています。確かに歴史的な街道の多くは山の尾根やすそをうまく使っているもの、なのですが、わざわざなんで平野部でいけるものを山の中を通すのか、というのが私自身まだ無知なせいと独学の弱さで、ピンと来ていません

*4:湖西市の知波田から本坂峠までの山道を主とした街道。豊川稲荷参詣のための街道なので「豊川道」とついたそうです

*5:嵩山のバス停の終バスが15時25分と恐ろしく早く、県道81号沿いの和田辻まで歩かされました

*6:山城跡で困るものといえば、道をふさぐ倒木と尾根なのか道なのかわからない分岐と、うっそうと生い茂るクマザサと。動物については幸い私は熊に出くわしたことはなく、鹿、猿、蛇までです。