<第3回>藤田東湖が下敷きだったのか

<第三回>などとしていますが、<第一回>の補足に過ぎません。「波多野秀治公表忠碑」の説明文の最後の二文、

抑道之在人心万古一日不以堯舜桀紂而加損焉。正気時放光亦足、以見民彝物則之不可萊矣。

うっかりしてました。南宋文天祥の「正気の歌」もさることながら、日本の幕末の水戸学者・藤田東湖の「正気の歌」を想起すべきだったようです。そのものに近いセンテンスがありました。

(前略)
不世無汚隆。正気時放光。
世に汚隆(おりゅう)無くんばあらず。正気、時に光を放つ。
(後略)
(このあと、物部尾輿の廃仏や、藤原鎌足大化の改新南朝護良親王や大楠公武田勝頼の臣・小宮山内膳や徳川家康の臣・鳥居元忠の忠誠などの例を挙げてほめたたえている)

ああ、碑文は波多野秀治の勤王をこれらの「正気」が現れた故事の一つとして挙げたかったんですね。私は水戸学は完全に落としてたなあ。そうですよね、戦前だったら藤田東湖の文章くらい教養ある人なら知ってるわなあ。うかつでございました。