カザフスタン映画『モンゴル』を観る

カザフスタン映画の『モンゴル』を観てきました。中国系モンゴル映画や、しょうもない角川映画などと比べても、モンゴルという雰囲気(あくまで私の思いこむ雰囲気にすぎないが)は歴然としてよかったですね。おそらく歴史的に解明しようのない若いころのチンギス・カンを扱ったストーリーそのものよりも、雰囲気や底にあるモンゴル人の思いや行動パターンが面白かったです。ああ、西夏の街の光景はなかなかのもので、これだけで完全に「この映画、勝ったわ」と思わせられました。ちょっとだけ井上靖の『敦煌』がかぶってきました。
モンゴル的雰囲気といえば、ジャムカ役の人*1が地の「漢族的仕草(これも私の思いこむ漢族のイメージだが)」が出すぎなのが惜しいが、きっと浅野忠信(テムジン=チンギス・カン役)もほかの文化圏の人から見たら「日本人的仕草」が結構あるんだろうな。私の匂った感じだと、走り方とか、子どもとの遊び方とか。モンゴル人からしたら、主役級二人が日本人と中国人ってのは不満だろうなあ。映画のエンドロールを見ても、スタッフに中国人が多かったしなあ*2。いや、でも浅野忠信は素人目には文句なくすごかったですよ。あの風貌は完全にモンゴル系なので、かなり得をしている*3が、過酷な砂漠やステップであれだけ走って、日本と全く違う殺陣をやって、しかも全編モンゴル語をやりとおして、しかも説得力のある演技に見えました。文字通り不屈の男、テムジンという感じは出てましたよ。
さて、チンギス・カン西夏に捕囚となっていたというのは、映画のホームページ*4では「架空のタングート王国」などと無知丸出しでまことに嘆かわしい*5wのですが、同じく映画のホームページによるとロシアの学者がチンギス・カンの空白の数年間は捕虜だったのでは?ということを言っているとありますね。ちょっとモンゴル史をかじった方なら、チンギス・カン捕虜となると言えば、『蒙韃備録』の一節を思い出すのではないでしょうか*6
「成吉思少被金人虜為奴婢者十余年、方逃帰。所以尽知金国事宜。(チンギスは幼少のころ、金人に捕らわれ、奴婢となること十余年にしてやっと逃げ帰った。これが金国の事情をことごとく知っている理由である)」
まあ、事実かどうかはともかくありそうな話な感じではありますが*7。ロシアの先生も根拠としてこれを含んで言っているでしょうね。映画『モンゴル』の場合はひたすら牢に捕らわれて何もできない間に自らとモンゴルのことを考えたわけですが、奴隷として労働をするうちに異文化圏のいろいろなものを見たほうが、想像の幅が広がって将来の役に立ちそうな感じはしますね。人間、体を動かしてたほうが脳みそも回転しますしね。なんかいつのまにか映画に妙な難癖付けてる感じになっちゃったし、ここまでに。
ところで、ほとんどのモンゴル人の風貌が朝青龍とかぶって見えたのは私だけでしょうか。特に子どもとかw

*1:孫紅雷。1970-、中国・ハルピン出身の俳優。風貌は完全にのぺっとした漢族、しかも山東や河北にいそうな感じの顔で、やや周囲のモンゴル顔の人たち(浅野忠信含む)とは浮いていました(とこれも私の勝手なイメージだが)

*2:まあ内蒙古と新疆で主に撮影したそうなので当然と言えば当然だが。

*3:反町隆史よりはよっぽど「チンギス・カン」として説得力のある風貌ですね

*4:http://www.mongol-movie.jp/

*5:映画のホームページ作るならちゃんと調べろよ。ちなみに字幕は「西夏」にタングートとルビを振ってました

*6:『蒙韃備録』は13世紀前半、南宋の孟珙撰。孟珙自身、モンゴル帝国に使者として赴いており、そこでの実体験・見聞等を交えてモンゴルについての記録を書いている。同時代史料として、大変貴重な書籍です。なお、私がモンゴル史を深めたわけではなく、大学2年生の時の講義で、現在大谷大学人文学部教授である松川節先生の史料購読の題材だったので偶然知っているだけです。松川先生、ジエ先生(ジエは先生の名前、節の中国語読み)と陰で呼んで、しかもちょっとはやらせちゃってすいませんでした。なお、今更ながらですが、松川先生はモンゴル史を専門に研究なさってます。ホームページはhttp://www.qutug.com/qutugxoops/

*7:なお、『元朝秘史』『元史』などメジャーどころの書物にはこういった記載はありません。もしチンギス・カン捕虜(または奴隷)が史実だとしても、モンゴル帝国建設後にチンギス・カン伝説を作っていく上で、「捕虜(または奴隷)になった」なんて不都合なんで抹殺しちゃうでしょうね