佳き言葉は受け継がれ、解釈は変わりつつも生き続ける

かなり前のことだが、平成18年12月にあった白川静先生のお別れ会で、先生をふりかえるスライドに「志有るを要す、識有るを要す、恒有るを要す」が登場したことを受けて、この出典に当たってみたことがあります*1。私は白川先生が曽国藩のこういった考えそのものが好きだったとばかり思っていたのですが、ちょっと違うみたいですね。私の日記にリンクを付けていた方のブログを見て、かなりびっくりしました。
日記は海洋研究開発機構海洋学を研究している市川洋先生*2のものでした。それによると、平成11年(1999年)に白川先生が勲二等瑞宝章を受章した後の会見でこの言葉をおっしゃったのに感銘を受けられ、これを独自に解釈して学生に講義で紹介していた。ところが、インターネットで検索をかけてみると、白川先生が「志有るを要す、識有るを要す、恒有るを要す」について解釈しているページがある*3。これを読み、白川先生の理解は、自分(市川氏)よりも深いものだった、と感嘆している。最後に、私の日記にリンクをつけ、白川流の理解はオリジナルである「曽国藩の意図」よりも超えている、と締めくくる。
うーん、オリジナルの出典だけあたって満足していた自分が恥ずかしい。白川先生の独自の解釈は、確かにオリジナルから多少曲解しており、研究者としてはちょっと「おい!」と言いたくなります。ただし、白川先生の解釈は研究者の姿勢として、そして先生ご自身のあの地道にとことんまで積み重ねた業績を見ると、ああ、そうですね、と深いため息とともに同意せずにはいられません。なるほど、佳き言葉は受け継がれ、解釈は変わりつつも生き続けるものなのですね。そして、どうやらときには解釈がオリジナルの意図を超えてしまうこともあるのか。曽国藩、白川先生、市川先生のおさん方から生きた言葉の歴史を見た思いです*4
まあしかし、自分がブログで発信したことが、こうして大きな成果となって帰ってくるというのは、まさにインターネットの醍醐味ですね。梅田望夫氏の言ってることも、なるほど間違っちゃいないな、と苦笑いしながら思うのでした。
(3/10 市川先生のご所属が間違っていましたので、訂正いたします。失礼いたしました)

*1:http://d.hatena.ne.jp/Genza_Aboshi/20061230

*2:http://www.k4.dion.ne.jp/~hiroichi/ichi.htm 。市川先生の自己紹介のページはhttp://blogs.dion.ne.jp/hiroichiblg/archives/6907653.html

*3:http://yanagihara.exblog.jp/2044382/ 超健康が夢 院長日記

*4:曽国藩は政治家ですが、儒学者としても一流の人物でした。もっとも、当時の士大夫階層は深い教養をもっていることが必須に近いものでしたが