総括?

未だに若松孝二監督の映画『実録 連合赤軍 あさま山荘への道程』が焼き付いているAboshiですが、そういえば「総括」を私も受けたことがあります。
といっても、罵倒やリンチを受けたわけではなく、大学のサークルの年二度の反省会を総括といってました。私は大学の混声合唱*1に所属していたのですが、その総括には団員全員が基本的に参加し、指揮者やパートリーダー、運営系のチーフが半年間のまとめと反省の資料を作成し、それをもとに団員があれやこれや議論したり、各チーフに意見したりという形をとっていました。ただ、それが時におっかない。半年間ヘボかったチーフへは、あれやこれやと批判が飛び出し、比較的おとなしい合唱団員がここぞとばかりに豹変する恐怖の現場へと。また、チーフは基本的に3年生がやっていましたが、チーフ職を引退した4年生が妙におっかなく、日ごろは温厚なのに、にわかにお局様のような恐ろしさを発揮するおかたもいらっしゃいました。
うーん、思えば不思議な場で、独特の雰囲気を持っていました。一昔前の学生自治が残っていたのでしょうか。一対その他多数という形式もあり、その場の流れで糾弾会になるリスクもはらんでいました。連合赤軍の総括の百歩手前くらいなことはあったかもしれません。私の入団前*2にはこれがきっかけでチーフをクビになった人もいたそうです。私も大学2・3年時に運営の一部門のチーフをやっていたのですが、ずぼら者の私にはそれはそれはデンジャラスな場で、2年の夏の総括時には、部長と指揮者によってかなり危ないところにいきかけました(部長と指揮者に問題視されて、平然と団員としてやっていた自分もなんですが)。結局この総括という行事、またはこれに関連して副次的に発生していた雰囲気を嫌い、私の同級生や年下などで団を辞める学生が続出、さらに人間関係のトラブルなどで団員数が団の維持に支障が出るところまで行きかけ、かなり団の運営に苦労した記憶があります。この辺の反省から総括も一時よりはそうとう穏当なものにしたつもりですが、後輩のみなさま、いかがでしょうか?
さて、すでに当時ハタチ前後の私は、イメージ程度ながら連合赤軍が行った「総括」を知っていました。こんないちサークルの反省会に総括なんて名前があるのがいやで(自分が痛い目に合うからでもありますが)、名前を変えようと試みましたが、うまくいきませんでした。今は名前は変わっているのかな?
しかしまあ、総括という言葉は全共闘世代の方にはどんな意味合いを持っていて、60年代当時はどう使っていたのでしょうか?連合赤軍など当時の左翼が行っていた「総括」のモデルは、当時中国でえらいことになっていた文化大革命のはずですが、中国語でこれに当たる言葉は「検討」です。紅衛兵に囲まれて「自己検討!」などと迫られたら、相当な目にあうことを覚悟しなければいけません。日本語における総括の語は、全共闘以前は「全体をまとめて、とりしまること*3」の程度の意味しか持っていないはずですが、いつ、どこから、誰がこの言葉に妙な意味を付与したのでしょうか。ちょっと気になります。
一方で、私のいた合唱団に戻ると、昭和30年代後半の創設だが、昔から総括っていってたのかなあ?当時だって合唱団員なんてノンポリなへなちょこ集団(失礼)なわけで、雰囲気や用語だけ、左翼から持ち込んだのかなあ?で、30数年を経て私が痛い目に?勘弁してよw

*1:そこのあなた、笑わない。リアル空間のキャラからもネットのキャラからもかけ離れてるのは自覚してるから

*2:参考までに、私の大学入学は1997年です。

*3:新明解国語辞典第5版