「考古学は地域に勇気を与える」

表題は考古学の大御所、森浩一*1先生のもの。昨日、諏訪原城跡からの帰りの電車で同氏の『地域学のすすめ - 考古学からの提言』*2を読んでいて、目が点になってしまった。
いや、私の理解レベルが低いかもしれないが、あたりまえといえばそうかもしれない。文献史料を多く残すのは多くは畿内の支配者、時代が下っても戦いを勝ち抜いた地域の支配者。滅んでしまった地方の小さな勢力や、ましてや庶民が史料を残すことはなかなかない*3。すなわち、支配者、勝ち抜いた者のバイアスがかかった史料ばかりが残ることになる。
しかし、掘って出てきた遺構・遺物は(妙な曲解を加えなければ*4、または発掘の手法に問題がなければ)、いつわりなく当時の様相を伝えてくれます。昨日行ってきた諏訪原城跡だって、江戸時代の軍学書だけではつかめなかった武田氏の城郭構築術について、掘ってみてはじめてわかった部分がいっぱいあるわけだし。
たわごとはさておき、どうやら地域に根をおろして生きる可能性が高くなってきた私の人生において、結構示唆的な言葉を見たと思うと同時に、現在の考古学というものがちょびっとだけわかった気がしました。いやあ、掘ってみよ、か。ああ、でも俺掘り方なんて知らねえよ(泣)。

*1:1928- 日本の考古学研究の第一人者として長く研究界を牽引してきた人。一方で1980年代以降は考古学を通した地域の掘り起こしといった視点からも精力的に発表を行っている

*2:2002年、岩波新書

*3:近世 - 江戸時代以降はがらっと様相が変わるので、ここでは除きます

*4:まあ、これが難しいんですが。発掘するにはある程度既存の史料で目星をつけなければならないのですが、その史料自体に問題あるとわけわかんなくなります。例えば、1980年代からつい最近までの尾張の中世城館の発掘調査などでは『武功夜話』を参考に掘り進めたりしている。ところが、最近の研究ではこの史料に偽書説が出ている。もし偽書説が確定した場合、「ほぼ武功夜話のとおりであった」なんて書いちゃってる某城跡の発掘調査報告書なんてどうなるのでしょうか。