中之院兵士像を見る

兵士像(一部)

あけましておめでとうございます。早速本題に。
去年の12月のある日、某所で名古屋市博物館の研究紀要*1を立ち読みしていると、不気味な写真が目に付きました。コンクリート製の兵士の像が、何十体かずらっと居並んでる*2。「なんじゃこりゃ、日本版兵馬俑か?」と思いながら、いてもたってもいられなくなり、像のある知多半島の先端部に行ってきました。
平成20年1月5日。名鉄神宮前駅から河和線と同知多新線を乗り継ぎ*3内海駅へ。さらにバスに20分乗り*4、さらに十一屋前とかいうバス停から20分ほど歩き、目的地である寺院、中之院*5に到着しました。中之院は愛知県南知多町山海にある天台宗の寺院。山海の集落の一番奥の山際にあります。
寺の本堂の前を通ると、兵士像がたしかにありました。確かに、一風異様な光景。田舎の夕方の景色にいかにもそぐわない、コンクリート製の兵士の像たち。大きさは、将校のものが1メートル20くらいで、兵士のものは1メートルくらい。まことに不気味で、不思議な光景。ただし無機質かといえばそうではなく、結構写実的に作ってある。何か、強い思いと背景を感じます。
前掲の論文によると、像のほとんどは日中戦争中の昭和12年(1937年)8月の上海・呉淞(ごしょう、ウースン)における上陸戦で戦死した名古屋の歩兵第六連隊の将校や兵士。この戦闘では将校8名、下士官・兵を合わせて137名が戦死し、連隊長も戦死ということで、名古屋市民に大きくクローズアップされ、御園座*6では島田正吾*7主演でこれを主題とした新国劇が上演されている。
残念ながら、兵士像のそもそもの制作の動機はよくわかっていないそうです。わかることは、はじめに連隊長の像が旧部下によって作られ、その後戦死者の遺族が建て増していったと書く書籍があるくらいだそうです。ただし、兵士の遺族が戦死による国からの下賜金によって制作していったことは確かなようです。墓地は遺族が名古屋東郊・覚王山の土地を購入したそうです。ところが、前掲論文によると所有者がすぐに移転してしまっており*8、時は経って平成7年(1995年)、周辺の地価の値上がりなどから地主がこの土地を売却して駐車場にすることとなったため、引き取り手を探したところ*9、中之院の住職が受け入れたといういきさつだそうです。向って左側の兵士像には台座があり、右側はなくなっていますが、これは移転の際に遺族への連絡がとれなかったものは台座を移転せず、駐車場の下に埋め込んだとのことです*10
また、前掲の論文によると、戦死者の慰霊を目的としてその像を作る文化は近代史においては極めてまれだということであり、名古屋市内にも数例、ほかにも数件らしい。私自身の経験でも、確かに神社や城跡に行くと、日本中どこでもうんざりするくらい慰霊碑が建っているが、こんな兵士の像は見たことがないですね。こういう兵士像を制作する習慣が根付かなかったのは、一つに日中戦争、太平洋戦争で戦死者があまりにも多く出て、資金(下賜金もその後滞るようになる)も手間もかけられなくなり、さらに大戦後は兵隊を尊敬する感覚がなくなったことにあるように思います。ただ、もし日本が日中戦争を早期に収拾するなどして戦死者が少なく済んだら、日本中の神社や寺にこういう像が建ち、兵士像の制作自体がある種の文化になりそうな感じですね。

*1:松本博行「調査報告 中之院兵士像について」『名古屋市博物館研究紀要』第27巻、2004.3。以下の文章においてもほとんど参考にさせていただきました。ありがとうございます。ただ、ざっと探したが、これについての研究文献がほかにない…

*2:私のmixiのページ(http://mixi.jp/view_album.pl?id=9594714&mode=photo)に何枚か写真をアップしておきました。mixiのアカウントを持っていない方はすいません

*3:私の住んでいる渥美半島からならば、伊良湖港からフェリーという手段もあるのですが、なにせ本数が少ないし、知多の師崎港からの足がないという問題もあるので

*4:1時間から1時間半に1本しかないので注意

*5:ホームページ?があったのでご紹介。http://www.pet-ceremony.jp/index.html。確かにペットの集合墓がありました

*6:名古屋を代表する劇場、現在ももちろん健在。http://www.misonoza.co.jp/enngeki_folder/engrki_top.html

*7:1905-2004。新国劇を代表する俳優のひとりだそうですが、私は名前くらいしか知りません

*8:この間の事情はわからなかったとのこと

*9:愛知県の護国神社は引き取りを拒否したとのこと

*10:論文によると遺族への連絡は不十分で、行ってみたら移転の看板があって驚いた遺族もいたとのこと