白川先生のお別れ会にて

(2008/3/10、15加筆)以下の曽国藩の文章の引用文で、大間違いをしてしまっていました。現在は修正しております。詳しくはhttp://d.hatena.ne.jp/Genza_Aboshi/20080310をご覧ください。誠に申し訳ありません。

12月6日、白川静先生のお別れ会がホテルグランヴィア京都にて、立命館大学主催でとりおこなわれました。私は行っていないのですが、その場に立ち会った19歳大学生によると、白川先生の生涯を振り返ったビデオの最後に「志有るを要す、識有るを要す、恒有るを要す」とでてきたそうです。白川先生の好きな言葉か何かと思われますが、出典をたぐったら曽国藩にいきつきました。曽国藩(1811-72)は清末の政治家、太平天国の乱の鎮圧に功あり、洋務運動の中心的な役割を果たした人物です。で、人生訓みたいなことを書き残すのがとっても大好きで、いやらしいくらいの分量が現在にも残っていますw現代中国では「上級官僚にいながら失脚することもなく富貴のまま人生を終えることができた人物」であることもあって、曽国藩はけっこう人気で、中規模以上の書店に行くとコーナーが設けられているようなことも。ちなみに出典は以下。北京で高級官僚として赴任している曽国藩が、故郷*1にいる弟たちに送った手紙が元です。つたない書き下しながら、その手紙の一部分紹介しておきますね。

蓋世人読書、第一要有志、第二要有識、第三要有恒。有志則断不甘為下流*2。有識則知学無尽、不敢以一得自足。如河伯之観海*3、如井蛙之窺天、皆無識者也。有恒*4則断無不成之事。此三者欠一不可。 (道光22年(1842年)12月20日に諸弟に送った手紙より)

蓋し世人の書を読むに、第一に志有るを要し、第二に識有るを要し、第三に恒有るを要す。志有らば則ち断じて下流に甘んぜず。識有らば則ち学を知りて尽きる無く、敢えて一得を以て自足せず。河伯の海を観るがごとき、井蛙の天を窺うがごときは、皆識なき者なり。恒有らば断じて成らざるの事なし。此の三者 一を欠くも不可なり。

*1:湖南省湘郷県(現在の湘郷市)。三国蜀の重臣、蒋琬と同郷ですね。そういえば毛沢東は湘郷のすぐ隣、湘譚の出身か。王者の気でもこの地方にはあるのかしら

*2:ただの川の下流や身分の上流下流のことではなく、日ごろから行いが下品であったり汚い者は川の水が下流に集まっていくように全ての悪名が身に集まってしまうことを指す。『論語』巻19子張に「子貢曰、「紂之不善、不如是之甚也。是以君子悪居下流、天下之悪皆帰焉」」とある。

*3:河伯黄河の神のこと。『荘子』に秋に黄河の水があふれるようになったときに河伯が「天下の美は尽くここにある」と得意になって黄河を下っていったところ、海に行き当たり自分の世界が狭いことに愕然としたとある。すぐあとに「井蛙」という言葉があるが、これも『荘子』のその後に登場する。いわゆる「井の中の蛙、大海を知らず」のルーツみたいなもの。原文は『荘子』秋篇・秋水「秋水時至、百川潅河、芤流之大、両涘渚崖之間、不弁牛馬。於是焉河伯欣然自喜、「以天下之美為尽在己。順流而東行、至於北海、東面而視、不見水端、於是焉河伯始旋其面目、望洋向若而歎曰「野語有之曰『聞道百以為莫己若者』我之謂也。且夫我嘗聞少仲尼之聞而軽伯夷之義者、始吾弗信。今我睹子之難窮也、吾非至於子之門則殆矣、吾長見笑於大方之家」」

*4:引用部の手前の文章に継続することの重要性が説かれており、「恒」はこれを凝縮した表現。ほかの手紙でも、曽国藩は「恒」の重要性をかなり説いており、「志」「識」「恒」のうち弟たちに最も説きたかったことでは?