明治維新以降の戦国武将などへの官位追贈

引き続いて昨日のチャットの話題だが、中野文庫にこんなページがありました*1。これを見て、ちょっとおもろかった点を二つほど。しかし、戦国期の武将を明治以降にこれだけ官位追贈してるっていうのはなんか政治的意図が見透かされておもろいなあ。以下、ぱっと見て気づいた点を。
南北朝国学関係者、そして「国を守った」人
ここらへんは国体を強めるためのストーリー強化に使われたんでしょうねえ。北条時宗の従1は国を守った人ということですよね。一高の寮歌『ウラルの彼方』の歌詞*2を思い出してしまいました。また、山田長政なんかも入ってるのね。外国と関わるということが「高くポイントされる」ようですね。
②毛利と島津
同じく明治維新で多くの藩士が代表的な地位を占め、後の藩閥政治のもととなった両氏の、戦国期の人物の官位の追贈は以下の通り。
・毛利

  1. 毛利元就 正一(明41)
  2. 毛利隆元 正三(明41)
  3. 吉川元春 正三(明41)
  4. 小早川隆景 正三(明41)

・島津

  1. 島津義弘 正三(大7)
  2. 島津義久 従三(大4)
  3. 島津貴久 従三(大9)

…なんか島津に比べて毛利は官位がふたまわり高いし、そのうえ追贈時期もずいぶん早い。そりゃあ戦国毛利氏は結構勤王してたけど、やっぱり長州藩出身者の政治運動あってのことでしょう。なんかイデオロギーにこだわる長州と実にこだわる薩摩という面を補強してしまう話にもなってるな、こりゃ。それとも薩摩は元勲の皆様の若き日に生きていた、思い出深き島津斉彬さえ正一位にしてもらえれば(明34に追贈)よしなのかしら。
③山内と長宗我部

  1. 山内一豊 従三(大8)
  2. 長宗我部元親 正三(昭3)

これは何か?山内一豊従三位に叙された対抗に、土佐郷士出身者が対抗して元親どのを正三位にしたのか?幕末に血を見た土佐上士と郷士の対立が、20世紀に入って20年も経ってこんな形で顕現したのか?
大正4年11月10日
戦国武将に大量に官位が与えられてるが、何がこの背景にあったのか?ついでに波多野秀治従三位って何?なんか他の人物と比べて二段くらい落ちるような感じが。波多野の居城であった八上城址(兵庫県篠山市)の本丸に「波多野秀治公表忠碑」(昭7建立)があるそうだが、そこにヒントでも書いてあるのかな?

*1:http://www.geocities.jp/nakanolib/giten/ikai.htm

*2:作詞:青木得三 作曲:栗林宇一 明治37年(1904年)に作詞された一高の寮歌だが、日露戦争を反映して内容はほぼ軍歌となっている。4番の歌詞に「これ時宗の生れし地 これ秀吉の生れし地 一千の児が父祖の国 光栄しるき日本国」とある。この「時宗」に少し唐突さを覚えていたのだが、「外国から日本を守る」ということが大きなポイントになってるわけですねえ。一方で、大戦後は対外的には侵略者として扱われる秀吉はどやねんとも思ったが