官位の話

(日本近世史の史料の取り扱いはよくわかっていない人の内容なので、おかしなことを言ってる場合は「違うぞコラ」とコメントをびしばしつけてください。勉強させていただきます)
昨日、ウィキペディアについて語る?チャットで某氏とくっちゃべった際のネタ。
内容は戦国期から江戸初期の人物で、受領名はわかっても官位は「正五位従五位?」などとわからないケースがままあるという話。
例えば、ウィキペディア日本語版では某ドラマの主人公山内伊右衛門尉一豊どのは、
天正14-15年 正五位対馬
②慶長8年   従四位土佐守
に叙任していることになってるのだが、①については山内家所伝の『一豊公紀』だが、天正13年から16年にかけて相次いで任官する豊臣直臣で一豊と同役またはやや上の人物の多くは従五位*1だし、他に立証する手立てもない。山科言継みたいな公家が文書を残せば証拠になるのだが、それもわからない。②については、『徳川実紀』に「田中吉政・堀尾忠氏・蜂須賀至鎮井伊直勝」とともに従四位に叙任し、一豊については土佐守に任官した旨明記している。『徳川実紀』ということで一次資料を引用している可能性が高いし、同時に叙任したメンバーが信憑性をある程度保証している。
で、一豊みたいに後世繁栄し続けた家でもこれだと、他の人物とかどうなんだろうと門外漢でもガクガクプルプルものですな。こういう内容を投稿される際には、疑問符はきちんと疑問符にして、論拠をつけておいてくださいね。毒を吐いておくが、歴史記事でたくさん投稿できるということは、そういった地味でめんどくさい作業をしてないからなんだよ。
聞いてるか、シェ(略

*1:黒田孝高田中吉政堀尾吉晴中村一氏・一柳直末など、立場がやや違うが石田三成古田織部も同時期ですな