長篠遭難?記

お昼から、なんとなくな気分で飯田線に乗って長篠城跡へ行ってきました。

久々の長篠城だが、ちょっと城の知識がついたうえでみてみると、南は寒狭川・宇連川に囲まれた断崖絶壁上でいかにも堅固なのだが、北はなんと城のすぐ北に小高い丘陵が・・・えええええ!なんか丘の上に陣を張ってから鉄砲撃ち込みつづけたらあっというう間に陥ちそうだが、そういうもんでもないのかなあ(丘から郭内まで100メートルない)。実際にも武田が陣張って落城しなかったのだから、違うんだろうなあ。しかし、今まで見た中では結構構えの甘い城な感じ、というのは素人考えなのかしら。

さて、飯田線の時間まで少し間があったので、武田方が付城(前線基地)を築いた鳶ヶ巣山に登ろうとした。入り口の看板を見ると道は結構整備されてるみたい。ところが、そこでにわかに軽トラに乗ったおっちゃんに呼び止められた。「鳶ヶ巣山に登っても、何もないぞん。それより、中山に登らんかん」で、おっちゃんが私に見せたのは6月24日付けの東海日日新聞。なんでも、中山も同じく鳶ヶ巣山と峰続きの武田の付城跡があるのだが、第二東名高速道路の建設のため、山ごと遺構が潰されてしまうこととなったために地元住民が反対運動をしてるそうな。「あんただったら30分で行けるわ」とのことだったので、まあどうせなので行ってみることにした。

おっちゃんの言うとおり県道からナマコン屋の脇の道を抜けて山道へ。途中まではお墓への道も兼ねており道が整備されていたのだが…うわわわわ、ほとんど道なき道。足場は悪いし(前日雨ということもあるが)、木に巻いてあるビニールテープがなければどこを進んでいいものやらいいかわからない。時々杉の倒木もあるし(間伐しようね)。なんども転び、ときには滑って杉につかまりながらやっとのことで登った。

ようやく尾根到達。確かに付城だけあって削平されている形跡はある。さらに尾根伝いに進み、「中山砦跡」という標識と長篠合戦ノボリがあった。しかしその標識を見ると、平成18年1月に地元公民館設置!?おい、第二東名が問題化してからあわてて作っただろw全体にあんまり整備されてないなあ(中途半端に公園化されて遺構を潰されるよりよいが)。最近のものと思しきビニールテープが標識用か大量に木に巻きつけてあったが、あれは第二東名通すことがわかってあわてて新城市教委が調査してるのかな?まあ、武田の付城跡もひととおりあればこそ史的価値があるという面もあるので中山砦がなくなっちゃうのは惜しいのは確かですけどね。

ちなみに、深い山中を降りるのにも苦労したあげく19:01に鳥居発豊橋行きに乗り遅れ、帰りが1時間半遅くなったてしまいました(次の電車がなんと20:36までないため)。うう。おっちゃん、恨むぞ。運動のために旅行者を巻き込むなら、もう少し整備しとくれん。確かに山深き頂上にはおっちゃんが立てたらしいノボリがあったけど。

もう一回、通しで鳶ヶ巣山から峰続きの付城を行ってみるかな。でも、道がなあ。今度こそ、長袖に軍手で行かないと、どっか怪我するわい。