下流に居ること悪む[中国がらみ]

いきなり『論語』子張篇を引く。

子貢曰「紂之不善、不是如之甚也。是以君子悪居下流、天下之悪皆帰焉」。
子貢曰く、「紂の不善は是の如く之れ甚だしからざるなり。是を以て君子は下流に居ることを悪む。天下の悪、皆之れに帰すればなり」と。

ここでいう「下流」とは、行いが下品であったり汚い者には、川の水が集まって行くように、すべての悪評が集まっていくくらいに解釈すればいいでしょう。つまり、殷の紂王のように自らに悪名を集めないためには、君子は品行を高く保って生きるべきである、ということです*1。例の白川静先生の好きな「書を読むには、志有るを要す、識有るを要す、恒有るを要す」の原典・曽国藩の手紙には、「志有らば則ち断じて下流と為るを甘んぜず」、学ぶに際しても志を持っていれば、下劣な人物のまま甘んじようとしない、といっています。
さて、現代に戻せば、中国がしばしば日本に向けて行ってきた戦争問題をめぐるネガティブ・キャンペーンは、過去の日本の「下流に居る」振る舞いをことさらに取り上げて、現代の日本をも下流に居らしめる=「天下の悪、皆之れ帰」さしめんとして、自国民に対する敵意を日本に向けると当時に共産党政府の正当性をアピールし、さらに国際的影響力その他の低落を図ったわけで、ちゃんと現代中国の政治家も『論語』は読んでいるようですな。
ただし、現代の中国はこれが自家中毒を起こしているようで、反日行動がヒートアップして収拾がつかなくなってるようですな。また、尖閣事件のように政治家が国外より国内を気にして国際問題を強引に処理して、海外諸国に不信感を持たれるようなことが何件か起きるなど*2、何やら自ら下流に立とうとしているような感じ。
日本としては、「きゃあっ、中国、非道だわ!!」ともっと声を高らかに叫んでおいたほうがいいタイミングなんでしょうね。現代中国の政治家は、中国の振る舞いに対して日本が非難して自国の国際イメージが低下することと、国内感情(+解放軍)を両てんびんにかけて、どうするか決めているわけだから、次に必ずあるであろう中国の非道には、もっと声も限りに、金切り声で、悲鳴をあげるべきでしょう。いや、先の尖閣事件のときのように、じっとしおらしく耐えたほうが日本人らしくて国際的に効果がある?のかもしれませんが、肝心の中国人そのものにいまいち効き目がないことを考慮すべきでしょう。先に*3チベット解放運動のことをなんやかんや書きましたが、なるほど、そうすると中国共産党政府ネガティブキャンペーンが遠回りでも一番効き目があるのかな。

*1:子貢の言いたいことには、殷の紂王は滅ぼされてしまい、次の王朝である周王朝に歴史を書かれる立場になったために、一層「下流」に立ってしまったということももちろん含んでいるでしょう。歴史は怖いですね

*2:ここしばらくの日・韓・越という隣国への中国の振る舞いは、一貫して強引かつ傲慢なのは、客観的な事実になってしまっていると思いますが

*3:1月1日(http://d.hatena.ne.jp/Genza_Aboshi/20110101