(暴言かつ妄言)チベットのことを無理やり考える

まじめに運動している方のお怒り承知ですが、正月ボケのたわごとと思って読んでください。
偶然京都の街中で「チベット解放」みたいなポスターを見て、思い出しました。2008年4月の長野の聖火リレーで、圧倒的な中国人の人並みの中で、わずかなスペースで「フリーチベット!」とやっている人たちがいました。知り合いの知り合いには、そういう活動をしている人が二人くらいいます。そういえば、ウィキペディアでもチベット記事をめぐる対立を見て、よくわからないのに入り込んでしまったことがありました。
暴言かつ妄言承知ですが、民主的な形で運動しても、難しいですよね。現在の中国共産党チベット(や内モンゴルや新疆)を中国の領土とする根拠は、清の雍正帝乾隆帝が定義した中華を、「漢民族中心の」という単語を加えたうえで、巧みに自分たちのいいように読み替えたたことによりますが、実質としても漢民族人口の移入、鉄道の代表としたインフラ整備など、着々と漢化を進めています。もちろん、チベット民族の迫害、虐殺込みで。
大学で中国史を専攻した者のくせにさらにテキトーなことを書くと、きっと中国共産党は「中華の安定とは、ほぼすべての国土において、漢民族がすべての面において優越していることである」と考えています。もちろん、目標はアメリカ。巨大かつ多民族国家の統治が今のところなんとかうまくいっているモデルはアメリカしかないわけで、中国からしたら見習うものがそれしかないですもん。そのアメリカは、メルティング・ポットだの、サラダボウルだのいいつつも、ほとんどの地域では、白人と白人による考え方が大事な部分を押さえています*1。ということで?、中国共産党は、世界の誰が何を言おうと、今後も「中華の安定」のため、漢民族の膨張(漢民族の特質として、ほっといても止まりませんが)と、少数民族の圧迫を続けるでしょう。
また、チベットが独立できるタイミングは20世紀に数回はあったと思いますが、今は完全に手遅れですよね。最後の機会は国共内戦前だったと思いますが、それに先だってエリートを大量に黄埔(かサンドハーストか市ヶ谷)に送り込んでおくとか、抗日戦争で蒋介石に協力して兵の経験を積ませるとともに、イギリスからインド経由で近代兵器を確保して貯めておくとかしとけば、成算もあったかもしれませんが。まあ、if小説も流行らなくなったので、この話はここまでに。
ということで、私がチベット民族を救うのに思いつくのは二つしかありません。ひとつは、とにかく内外で蠢動して中国共産党政権を転覆させ、中国を混乱に追い込むこと。それでもチベットにいったん住みついた漢民族にお帰り願うのは至難で、うっかりするとチベット人による漢民族の虐殺が始まってしまいそうですが。
ふたつめは、もし圧迫に堪えられないのであれば、いっそ民族ごと転出して、迫害されない地域に移住すること。リベリアイスラエルのように国家を作るまでいかなくても、一定面積を確保することであれば可能だと思います。
今、チベット民族は中国国内に500万人強いるそうです。例えば、そのうちの200万人の日本が引き受ける。チベット人の多くは牧民や農民です。日本の山地・台地の多くでは、既に集落が消滅したり、限界集落の状況になっている場所がたくさんあります。そこに住んでもらいましょう。電気・ガス・水のインフラの多くは残っているはずです。もちろん日本の風土に合った農牧業をしてもらう必要はありますので、指導員は必要ですが、慣れればチベットの生活よりは厳しくないのではないでしょうか。さらにこの先、日本では田舎の過疎化が否応なく進みます。すると、「T県M郡H村をチベット人自治区にします*2」、「A県S郡を(以下略)*3」とか自治体単位くらいではチベット人の集住が可能になると思います。もう100万人は日本以上に過疎化が進む韓国の農山村でいかがでしょう。
今、人口減少の中で、日本が移民を引き受ける必要がある状況なのは間違いないですが、難しいのは中国人の比率が高くなり、しかも民族の特質として彼らだけの居住区をあちこちに作ったり、紛れ込んだ工作員が(以下略)。おおげさいうなと思うかもしれませんが、先に書いた聖火リレーの日に、中国政府の指示によって留学生が長野に集結し、「中国万歳」と騒ぎたてたあの薄気味悪さは私には忘れられません。中国人、いや、漢民族が日本から見てその母国が政治的、軍事的に途方もない脅威になっているのは間違いないのです。その辺も加味して、移民を受け入れるのであれば、できるだけ多種類の民族に移民してほしいところです。と、いうところで、チベット人はその手の怖さからはひとまず無縁とは思いますが。
暴論なのはわかっているが、実のひとかけくらいはないでしょうか。さびれた農山村に住んでもらおうという発想そのものが差別的でしょうか。また、都会を知ってしまうと、結局はそちらにいってしまうでしょうか。昔見たNHKスペシャルで、こんなのがあったな。昭和30年代くらいに、鹿児島の離島で本土よりもかなり「遅れた」生活を送っていた住民を啓蒙しようと孤軍奮闘する学校の先生がいた。先生はある日、住民を東京に連れていった。ところが、都会的生活を一度見てしまった島の住民は、みな島を離れて、離島は無人島になってしまった。まあ、手の届くところに都会の誘惑ってのは難しいもんですよね。田舎にいると本当にそう思いますよ。いうまでもなく、最大の問題は「民族をその風土から切り離す」ことがどれだけ残酷なことか無視していることですが。
と、以上のことを書いてみたのは、「チベット解放運動」をしている人の着地点がどこにあるのか、外から見ている分にはよくわからないからです。難しいし、外部にいるくせに失礼極まりないことを言っているのはわかるのですが、いまいち多くの人に届かないところがあるのは、そのへんにあるのかもしれません。

*1:ようやく変わりつつあるらしいですが、まあそれはおいときます。私にはバトラーだのスピヴァクだのを読む力はありません。いや、逃げてちゃいかんかな。

*2:もののたとえです!関係者の方、怒らないでください

*3:上と同じく!関係者の方、怒らないでください