郷土歴史家が亡くなる

7月4日、地元の歴史研究家であった小野田勝一氏が亡くなりました。平安から鎌倉時代にかけて渥美半島で生産された渥美焼*1の遺構の発掘や地道な編年作業に当たり、行政でも旧渥美郡三町の文化財保護審議会の委員を務め、数々のアドバイスなどしてきた方です。私自身は数回しか言葉を交わしたことがなかったのですが、よもや去年の末ころまでお元気だったのを見かけていたのに、亡くなるとは…
夕刻、小野田先生(の娘)と仲の良かった母が通夜に行くというので、ついていきました。小野田先生が学校の教員だったことから、場は学校の先生な雰囲気の方ばかり。そして田舎の葬祭場ではキャパが小さくて人があふれて大変。関係の濃い人と偉い人以外はみんな立ったままでお経を聞くことになりました。いやいや、お経が簡単な真宗でよかったですよ。おじいちゃんおばあちゃん多かったし。
享年85歳で、しかも最後の数か月の手前まではかなりかくしゃくとされていたとのことですので、天寿を全うしたというべきでしょうが、関わりが薄かった私でもちょっと空虚な気分を感じます。ご冥福をお祈りします。

*1:大アラコ古窯、百々古窯など(どちらも田原市内で、国指定史跡)で焼かれた陶器群の総称。平泉から肥前まで、日本の各地で発掘されるものの、昭和30年代後半までは「謎の黒い陶器扱いを受けていたのが、発掘と研究により渥美半島で焼かれたものであることが明らかになった。ただし、この渥美焼は14世紀ころに衰退、滅亡してしまう