カブトムシから学んだこと

昨日夜、なぜかいてもたってもいられなくなって、一人でカブトムシを捕りにいきました。10うん年ぶりに子供のころの穴場に行ってみたのですが、あれ、草を踏み分けてできる道がなくなって草がぼうぼうに生い茂っちゃってる。半そでにサンダルの軽装では目標のクヌギの木に近づけないよ。
今の子供はカブトムシを捕まえないのか?それともここが穴場じゃなくなっちゃったのか、どっちだろう?とりあえず他の入りやすい場所や電灯の下などを探したところ、カブトムシのメスばかり3匹捕獲。しょぼし。
さて、表題の話を。私が大学2年生のときのことです。夏、田舎道の電灯の下にはちいさな黒いしみがいくつもありますが、それはそこに集まってきたカブトムシやカナブンなどが自動車のタイヤで潰された跡だったりします。「飛んで火にいる」虫の習性*1が現代ではより悲劇的に作用しているわけですが、ある夜、夏休みで帰郷していた私が自転車で夜道を走っていると、カブトムシのオスが潰れたての状態で道に死骸をさらしているのを見つけました。自転車を停め、あわれなと思いながらカブトムシを見ていると、明らかに死んでいるとしか思えない身体が、もぞもぞと動くのです。子供のころに、いたずらでトノサマバッタの首を刎ねたところ、相当長い時間動いていたのを思い出して気味の悪さを覚えながら、「いや、これはちがうぞ」と気がついてオスのカブトムシをどかしてみると、メスのカブトムシがはいだしてきました。どうやら路上で交尾に及んだところ、車に潰されたようです。驚くことにメスのカブトムシは無傷でした。オスは文字通り身を挺してメスを守ったのです。何か生き物の真理を見たような感動を覚え、私はメスのカブトムシを大事につかみ、道の脇の雑木林に放ちました。
あれからはや9年になりますが、あのメスはあのオスから得た精できちんと産卵できたのでしょうか?そして、その9代後の子孫は田原のどこかで生きているでしょうか?昨日カブトムシを捕らえながら、そんな妙な感慨を覚えていました。

*1:理科の言葉で言えば、集光性ですな。最近は虫が集まらないような光線の電灯が増えているようですね