ばらけた内容の日記

古来中国では死刑は夏至から冬至の間、すなわち太陽の光が衰えていく(陰)の時期に行った。

さて、川辺の道端でアゲハチョウが羽根を広げて死んでいた。こうして「死体」を見慣れておくことで、自分が凶行に走ることを免れられているのではないか、などと考えてみたりして。仕事その他で頭が煮詰まっているとき、生き物の死体を見ると「ああ、所詮自分もそのうち死体だ」などと気がつくとすごい気分が楽になりませんか(ってこわいかな、私)。

小学生時代に昆虫の類をどれだけ殺したかで、その後の人生どれだけ真の意味で環境を大事にするかかかってるなどと私は思ってるが(もちろんたくさん殺す⇒環境を大事にする)、
どうですかね。もっとも神戸のサカキバラ君は昆虫⇒猫⇒人間と殺す対象をエスカレートさせていったのでなんともかんとも。

と、こんなことを書いたのはあまりにも擬人化されすぎた動物が主人公の女の子(小学生)と「お部屋の中で」たわむれるというアニメの宣伝のCMを見てしまったためだが。それも馬なんかまで・・・ディズニーの擬人化も破滅的なことをやってるな、と思うが、そんな比じゃないなあ(といいつつそのアニメの名が思い出せない)。そういうわけでこどもらよ、『アルプスの少女ハイジ』を見ようじゃないか!(妙な終わり方)