チベット⇔西蔵

そういえば、いつから清朝チベット西蔵にしちゃったんですかねえ。今私が手持ちのものでは、

・『清史稿』(1910年代から20年代にかけて編纂) 
 ・・・地方志として「西蔵」下位カテゴリに蔵(ツァン)・康(カム)・拉里(ガリ
・『西蔵旅行記』(1904刊、英題は"Three years in Tibet"←某映画はこれをぱくったのねw)
 ・・・チベット西蔵を違和感なく混用

あとは『東華録』だの『会典』だの見ればわかってくるのかしらねえ。そういや『清国行政法』(1915年、日本人によるもの)なんかはどうなのかな?

大漢和辞典』での諸橋さんの「西蔵チベットと訓むことの違和感」は、こうして今まで引き継がれちゃってるわけで、ウィキにも至ったわけだが、今後も続くのかなあ。

ところで、チベット投票のページがやや脱線しつつ(T氏の言動をテーマに)またもめてる。仕方ないけれど口を挟みにくい状況が続くことだorz