名古屋西柳公園と「墨守非攻」

(かなり思ったことを素直にに書いているので、甘い、無礼な表現はありますが、お許しください)
現在の不況*1、派遣・期間工の雇い止め等の問題が世間を騒がせています。私もかなり不器用な性格をしているし、就職活動で苦労した覚えがあるので*2、とても他人事には思えません。もちろん、愛知県田原市に住む身として、10月以降あっという間に期間工の方と思しき方がパチンコ屋やスーパーで目にしなくなっていったし、新聞やテレビが取り上げるように田原市の20年度以降の大幅な税収減という現実を見るにつけ、田原市とそこに住む我々が期間工のみなさまに負っていた部分*3があると思うと、ため息とともに「同年代も含めて多くの人が非道な目にさらされている、どうにかならんか、できんか」と感じます。ただ、無力なのもさることながら、この時代と状況にあった方法がまるでわかりません*4。まあ、わかる人がいたらとっくにどうかなってるでしょうが、今後一層世の中苦しくなると思うと、少し暗澹とします。
今日は、それを片隅に思いながら名古屋で友人に会う際の待ち時間を利用して職も住むところも失った人が多く集うという、名古屋駅近くの西柳公園を見てきました。何か現場を見て考えられることがあれば(少しだけでもその場で手伝えればという思いもありました)ということだったのですが、狭い公園にテントが林立し、よくある元雇い主や行政への不満と左翼っぽいプラカードが立ち並び*5、ひげのおじさんがたむろしているのをみると、ちょっと近づき難いと感じて引き返してしまいました。もう少し同世代から40くらいの人もいるかと思ったのですが、パッと見る限り見当たりませんでした。
さて、その現場で相変わらずなプラカードのなかに、ちょっと興味深い旗がありました。虹色に「墨守非攻」と書いてあったのです。おお、墨家ですか。意地でも(生活を)守り抜くが、他を犯しはしないよということでしょうか。うーん、ただ墨家というのは守り抜くために武力の限りを尽くすわけで、『墨子』や最近の墨家系の出土文献*6にはうんざりするくらい城壁はどうせよ、こういう設備や武器を用意せよ、こんな戦術を使えということが書いてあります*7。ついでにいえば墨家自体が技術者集団を母体としているといわれており、それ自体が「手に職を持った」経済組織です。仕事を失った人たちが墨家の主張をするというのは、大変に示唆的なのですが、中の方はお気づきですか?いつのまにかきついことを書いていて、自分でも驚いているのですが。
それはそうと、墨家といえば「兼愛」なんて概念もありました。これは孔子の「仁」のカウンターであり、儒家の家族や年長者への「偏った」愛を否定し、自他の別なく全てを平等に愛するということです。もちろんこういう考えには危うさもあるのですが(子を親から切り離して組織のために純粋培養する発想とか)、派遣や期間工の人たちを平気で切り捨てる現在の世の中には、結構有効な考え方かもしれないと思ったりもします。

*1:100年に一度などという軽佻浮薄な言葉は1929年恐慌の関係者に申し訳ないので使いません。

*2:私の就職活動当時(2002年)はまだまだ就職難の時期でした。面接ベタもさることながら、適性診断というペーパーテストで「性格が荒い、怒りっぽい」とかなりはっきり出るそうで、敬遠されていたようです。既に倒産した某社の面接で教えられ、半笑いで「苦労したでしょう」と言われた思い出があります。ふう。

*3:田原に住みながらも期間工の方と話をする機会があるわけでもなく、どんな生活を送っているのか(いたのか)もよくわかりませんが、せめて田原笠山氏のブログ(http://t-kikan.jugem.jp/)などを参考にしていました。

*4:豊田市大分県杵築市等の自治体が臨時職員で短期間雇用という話も聞きますが、長期的なものにはなりえないでしょう。一方で、大分県の農家が臨時雇いに使うという動きがあるそうですが、こちらのが日本の産業の一つの可能性になりそうな気がします。かなり昔に期間工の方々の労働力を農業に回せないかとブログで書いた身としてはなおさら。

*5:関西に住んでいたころ、いささか左翼的な大学に通っていたので見飽きましたわい。

*6:例えば「張家山漢簡」。

*7:墨家のセオリーでは敵を完膚なきまでたたきのめして再侵攻できなくすることを目的とします。アンディ・ラウのダメ映画『墨攻』のように敵に情けを与えはしません。