月が出た出た月が出た 小谷山の上に出た♪

ええと、『センゴク』ではついに小谷城陥落寸前ですね。小道具として満月が効果的に使われてましたね。でも、史実の織田信長小谷城攻めは天正元年(1573年)の太陰太陽暦8月24日から9月1日前後にだったりします。あ、あれ、太陰太陽暦の日付は月齢とほぼ一致するので、月はほぼ欠けていて明け方しか見られないか、新月のはずでは?
うーん、リアリティを追い求めるんなら、このへんも頑張ろうよとちょっとがっくしきたのは私だけではなさそうな。そういえば今週号では欄外注でさりげなく小谷城の金吾丸を朝倉宗滴の「浅井攻め」の出丸では、と書いてましたな*1。そういう所は憎憎しいまでに新説を取り入れようと頑張るのになあ。惜しい。

*1:通説では、大永年間の六角氏による浅井攻めでは朝倉氏は浅井の援軍として出陣したとのことでしたが、残存している同時代文書は六角から朝倉宗滴への感状が発給されているなど、どうも逆っぽいそうな