「慶長地震は都合により中止になりました」−NHK大河ドラマ『江』

NHK総合で流れている『江〜女たちの戦国』なる大河ドラマ。戦国風のセットで現代のホームドラマ*1を繰り広げて、比較的視聴率を確保しているらしいですな。私は別に観たくないのですが、飯時に我が家の両親が観ているので、半強制的にときどき視聴しております。最近では観ないために帰宅の時間を遅らせるなどもしております。
さて、ドラマの第30回で伏見で大火事があり、主人公の江をダンナの徳川秀忠が助けたことにより、新婚当初から溝があった夫婦の絆が深まったという話があったそうですな*2。なお、先に刊行された脚本をもとにした小説版では文禄5年(1596年)閏7月に実際に畿内であった大地震*3を題材にしているそうで、ドラマが地震をただの火事に変えたわけですな。
理由はいうまでもない、「東日本大震災」による自粛なんでしょう。実際にあったことが現代の都合で「中止」されたわけですが、それっておかしくないか?
ちょっと考えました。でも、この中止はおかしくないですね。今回問題になる点は地震そのものよりも、「多くの人が死んだ地震を恋愛が深まるダシに使った」ことなんですもの*4地震をこんな「使い方」にしては、地震で被害に遭った被災者が怒って当然ですわね。まあ現代風の恋愛至上主義を反映した、限りなく軽薄なドラマということがわかってよかったですわ。

*1:はじめのほうは観ていたのですが、江曰く「好きでもない人に嫁ぐのですか?」と。どこが戦国やねん。そのほか、柴田勝家の出陣を足止めして滅亡に追い込む後妻と継子ってギャグですか?

*2:この回は私は観ていません

*3:文禄5年閏7月13日(現代の暦に直すと1596年9月5日)に畿内震源とする内陸性の地震が発生(マグニチュードは7.1らしい)、京や堺で大きな損害となりました。特に伏見では秀吉の御座所であった伏見城の石垣が崩れる、天守も倒壊などということになり、多くの死者も出ました。

*4:類似の事例にディカプリオ主演の『タイタニック』(1997)なんてのがありますが、悲惨な沈没劇を純愛の後景に使ったこの映画の公開が沈没翌年だったりした日には、暴動の三つくらいは起きるでしょうな。

「トラが人間を食べるのと同じだ」−中国高速鉄道の事故

<以下のように書きましたが、いわゆる知者な方に聞いたところ、女性が「トラが人間を食べるのと同じだ」と『礼記』の苛政は虎よりも猛なり」が連結するかどうかは定かならずと返答されました。以下は、あくまでAboshiの独自見解(または思い込み)となります。>

中国浙江省・温州で起きた中国高速鉄道の事故の犠牲者の方々におくやみ申し上げます。そして、中国政府の「くさいものにはフタ(たとえそこに多くの人命があろうが)」という姿勢に怒りを表明します。
さて、下のようなニュースがありました。

[温州(中国) 29日 ロイター] 中国浙江省で起きた高速鉄道事故の遺族が初七日にあたる29日、遺体安置所に集まり犠牲者の供養を行った。安置所を訪れた遺族らは、鉄道省が事故を引き起こしたとして、同省に対する怒りをあらわにした。
夫を亡くした女性は「彼に叫び続けたが、返事はなかった。妻と息子を置いて、逝ってしまった」と声を詰まらせ、「なぜこんな事故が起きたのか。高速列車になぜ欠陥があったのか。トラが人間を食べるのと同じだ」と涙ながらに訴えた。
この女性は高速鉄道に乗車中の夫と電話で話したといい、夕食までに帰ると約束してくれたという。10代の息子を亡くした母親は、火葬が終わると気を失い、親族が手を差し伸べていた。*1

少し耳に残ったのが「トラが人間を食べるのと同じだ」。中国人がトラを引き合いに出すのはよくあることなのですが、ちょっと文脈から唐突の感もあります。これは出典があるからで、まぎれもなく『礼記』檀弓下の「苛政*2は虎よりも猛なり」でしょう。高校の国語の教科書などにもよく掲載されているので、ご存じの方も多いかもしれません。こんな話です。

孔子が泰山の傍らを過ぎると、女性が大きな声で泣いている。弟子に理由を聞かせると、自らの舅、夫、息子が人食い虎に殺されてしまったという。孔子が「人食い虎がいるのに、なぜあなたはここを去らないのか」と聞くと、女性は「『苛政』がないから」と答えた。孔子は弟子に向かい、「覚えておけ、苛政は虎よりも無慈悲なものなのだ」と言った*3

この夫を失った女性(というところまで孔子に出会った女性に似ていますが)は、「トラ」という単語を使い、有名な説話にことよせてかなり辛辣な政府批判(=今の政府は「苛政」である)をしたわけです。これだけでも、今回の件がただごとでないと思わずにはいられません。ここしばらくの中国で、被害者の怒りの声が表にこれだけ露わになったことはなかなかないはずです。もっとも、遺族としても国際的に話題にすることでしか彼らの正義を通すことはまずできない(自らの存在をマスコミにさらすことで、一身へのリスクを減らすこともできますね)わけで、海外マスコミの前で必死になるのは当然ですが。なるほど、虎を追い詰めるのも大変なことです。
さて、以上を踏まえると私は「トラが人間を食べるのと同じだ」は少しだけ誤訳のようにも感じています。原典に忠実なら「トラが人間を食べるよりもひどい」でしょうか。もっとも、ニュアンスの多少の違いともいえるでしょうが。ついでにいうと、ロイターの記者が、女性の発言は「苛政は虎よりも猛なり」を引いていることに気付いたのかも少し興味があります。

*1:http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-22443620110729 ロイター 2011年7月29日

*2:苛政は血も涙もない、無慈悲な政治のことを指すと考えてください。

*3:書き下しはWeb漢文体系を参照→http://kanbun.info/koji/kasei.html

私の前の座席でおじさんが読む本

午前11時過ぎ、東海道線新快速下り、草津〜大津あたりにて。
私の向かいの座席に座る初老のおじさんがハードカバーの本を読んでいる。ふとのぞくと、裏表紙に「九州大学出版会」の文字。ほお、専門的な本なのかな、と思っていたら書名が見えた。
『ウランの生体濃縮』*1
さあ、この方は専門家なのか、今日の問題に興味を持ったインテリな人なのか。どっちですかね。地震の前にはまず電車内などでお目に書かれる本ではないと思うのだが。

我が家の裏のささやかな死

私の家の裏のアパートには独り住まいの年配の女性(以下、ばあさん)が住んでいた。このばあさんは野良猫をかわいがり、折にふれては餌をやっていた。この結果アパートの周りは何匹もの野良猫が徘徊し、我が家も含めて迷惑していたために、近所の人たちはたびたびばあさんを注意したが、ばあさんは餌やりをやめようとしなかった。
梅雨の季節にふとしたことでばあさんは体を壊し、ある日娘さんに引き取られてアパートを去った。にわかに猫たちはえさ主を失ったが、我が家の軒下のちいさな草むらを住まいとする雌猫と生まれて間もない一匹の子猫には大きなダメージだった。雌猫はどうやら餌を与えられることに慣れ、自ら餌を得る才覚をほとんど失っていたようだった。かろうじてセミを捕まえて餌とするものの、身は細り、乳が出なくなってしまった。
この数日前の夕刻、ふと見ると子猫はぐったりと衰弱してコンクリートのふたの上にあおむけになり、痙攣したように前足を動かしていた。母猫は少し離れたくさむらの中でじっとしたままで、子猫を自分のほうへ引き込もうともしない。2か月ほどまえ、母が雌猫の出産直後にでくわしたときにはすさまじい殺気でにらみつけてきたそうだが(母曰く「なんでうちの敷地でにらまれねばいかんのか」と)、その過去はどこにいってしまったのだろう。
昨日、子猫は死に、死骸はアパートの家主が片付けていった。
夜半、セミの断末魔のような鳴き声が聞こえた。雌猫が生命の糧を得たのだろうか。

メモ「地震はなかったと思い込みたい」

確か、NHK総合のAMで夕方のニュース*1か何かで解説の方が言っていたこと。聞いてからかなり日が経過したので、かなり私の言葉に変換されてしまっているが、おおむねこんな感じだったと思う。アナウンサーの国や東京電力などの震災や原発事故への対処が遅れているという発言を受けたものです。
「それはそうですよ。多くの人はこの途方もない被害を前にして、それを見たくない、地震などなかったと思い込みたい、以前のパラダイムのままでいたい*2んですよ。いま、そこで起こったことを直視して、意識を切り替えられないんですよ」
ああ、俺だってそうかもしれん。いま、私の住む場所は地震の被災地から隔たること500km。3月の地震当日には薄気味悪い揺れを感じ、その後テレビで流れた津波の映像には息を呑んだ。その時にはこれで何かが変わったと思った。その後も義捐金や節電などと少し違う生活に追われてはいるが、テレビで見る被災者や原発が生んだ悲惨な状況が意識から遠くなり始めていた。次に向けて行動し、考える時代が来ているのは間違いないのだ。
意識を変えることはただ地震と被災地を直視することだけではない。日常の生活で感じることなのだ、とわかってはいるのだが…。

*1:震災関係の報道については、同じNHK総合でもテレビよりもラジオのほうが率直で聞きごたえがあると思いますが、いかがでしょう

*2:普通の人が多く見るラジオで「パラダイム」なんて言わない気がするのですが、しっくりくる表現がいまいち出てこない…

押し売り電話の相手に心をみる

私の職場には、ある特定の先輩によく不動産の押し売り電話がかかってくる。聞くところによると、その先輩の高校の卒業アルバムか何かが流出して、個人情報がだだもれになっているらしい。
あまりに高頻度で業務妨害のようにかかってくるので、基本的には「先輩はいない」ことにしているが(実際に外出率も高いのだが)、宵の口、うっかり先輩が電話を取ってしまった。案の定しつこい売り込み。先輩は会話中に電話を切ってしまった。すると、間をおかずに電話が鳴りだした。ベルはいつまでも鳴り続け、切れたと思ったら、1秒間を置かずに再び延々と鳴り続けた挙句、切れた。困ったことに、同時間に先輩から取引業者さんから電話がかかってくることになっていたので、この電話がそうでなければよいとちょっと願った。
数分後にまた電話ベル。私が取ってみたら取引業者だったので先輩に取り次ぐ。その通話中にまた別の電話が鳴った。ああ、押し売り電話だと思いつつ、通話中の先輩にベルがうるさいので仕方なく取る。受話器の向こうの第1声に曰く、

押し売り氏(若い男性の声)「なんで電話に出ないんですか。いるのはわかっているんですよ」
私「すいません、なんのことだかわかりません。わたくし、Aboshiですが」
押し売り氏「あ…すいません。Pさん(仮称)はいらっしゃいますか」
いると答えるバカはいない。
私「すいません。Pは帰りました」
わずかな間。
押し売り氏「何言ってるんですか。Pさん、いるんでしょう。わかってるんですよ」
私「帰ったものは帰ったと申し上げるしかないですね」
押し売り氏「はあ。たいしたコンビネーションですね。私も私だけど、あなたがたもあなたがたですよ。Pさんに言われてやってるんですか」
私「ですから、Pは帰ったとしか申し上げようがないのですが」
押し売り氏「はあ(深いため息)。PさんとAboshiさんとでは、どちらが上司なんですか」
私「あなたに申し上げることではありません。すいませんね」
押し売り氏「はあ、どうしようもないですね。切りますよ(間 髪を入れずに切れる)」

いつもうちの職場にかかってくる押し売りは、無表情または恫喝的のどちらかだ。でも、この押し売り氏はちょっと不器用なところや、言葉の片隅から本音が漏れてくるところに人間味を感じた。そうか、押し売り氏自身も、今している仕事がいいものとは思っていないんだなあ。この就職難のご時世、苦労した末に今の仕事をしているのかもしれんしなあ。
押し売り氏よ、多分あなたは今の仕事に向いてないよ。次にいい就職をしなよ。遠い空から少しだけ祈っておくよ。

19世紀初頭の「胡蝶砲子=蝶の砲弾」ってどんなのよ?

私はただいま渡辺崋山(1793-1841)が仕えていた三河国田原藩の地元、現在の田原市に住んでいることもあり、地元の崋山の手記などの輪読会に参加している。その内容の多くは画帖であったり漢詩だったり、旅行時の聞き書きなど、まさにメモ。そのうちのひとつ、天保7〜9年(1836−38年)に書かれたと見られる『客退紀聞』は、主にオランダの史書等を翻訳した内容と考えられているが、その中ににわかに漢文が挟み込まれている。出典を探すと、清朝期の考証学者・阮元(1764-1849)の著述『揅経室三集』巻2所収の「記蝴蝶砲子」とほぼ一致した。
阮元は江蘇省儀徴県の出身で、字は伯元。先に書いたとおり考証学者として高名だが、有能な行政官でもあり、30代の若さで各地の巡撫(省の長官)や総督(複数の省の長官)を歴任して治績を挙げ、内閣大学士まで昇りめている。
嘉慶5年(1800年)6月、浙江巡撫(省の長官)であった阮元は、安南の海賊を浙江省台州府の松門で撃破*1し、大砲と砲弾を鹵獲した。「記蝴蝶砲子」には、その砲弾(蝴蝶砲子)の構造を記すとともに、試造・試射を行ったことが記されている。族弟・阮享によると、阮元はこの年の秋、鹵獲した大砲を水師(軍船か?)に設置し、「正威砲」と名づけて銘文を刻した(『瀛州筆談』)。現代の研究者である王章濤は、「記蝴蝶砲子」が書かれたのは同時期ではないかと推定している*2
まじめくさった説明ですいません。気になるのは、この砲弾のちょっと珍妙なところ。以下に例によってAboshiの拙書き下しと訳を入れておきますね。

<原文>
記蝴蝶砲子

嘉慶五年、余破安南夷寇于浙江台州之松門、獲其軍器。其砲重数千斤者甚多、其銅砲子圓径四五寸。又有蝴蝶砲子、戦時得之。其子以兩半圓空銅殻、合為圓球之形、両殻之中、以銅索二尺連綴不離蟠。其索納入両殻而合之、鎔鉛灌之、鉛凝而球堅矣。以球入砲、砲發球出、鉛鎔殻開、索連之飛舞而去。凡遇戦船、高檣帆索、無不破断者矣。余仿其式造甚良。姑記之、以廣武備之異聞。

<書き下し>
蝴蝶砲子*3を記す

嘉慶五年*4、余 安南夷寇*5を浙江台州の松門*6に破り、其の軍器を獲。その砲 重さ数千斤*7なる者甚だ多く、其の銅砲子の円径*8は四五寸*9。又た蝴蝶砲子有り、戦時に之を得。其の子 両半円の空銅殻を以て、合わせて円球の形と為し*10、両殻の中、銅索*11二尺を以て連綴(れんてつ)*12して離蟠*13せず。其の索 両殻に納入して之を合わせ、鎔鉛之に灌(そそ)ぎ、鉛凝(こ)りて球堅し。球を以て砲に入れ、砲発し球出ずるに、鉛鎔けて殻開き、索 之に連なりて飛舞して去る。凡そ戦船に遇うに、高檣*14帆索*15破断せざる者無し。余 其の式に仿(なら)って之を造るに、甚だ良し。姑(こころ)みに之を記し、以て武備の異聞を広めんとす。

<解釈>
嘉慶5年6月、私・阮元は安南の海賊を浙江省台州府の松門で撃破し、その兵器を鹵獲した。大砲の重さは数千斤のものが最も多く、砲口の直径は13〜16cm程度、また蝴蝶砲子という砲弾も戦時に得た。砲弾の弾殻は銅製で、内部が空洞となっている2つの半球を合わせるようになっていて、64cm程度の綱状の銅によってつなぎあわされ、中に熱して液状化した鉛を注ぎ込む。鉛は(自然に冷えて)凝固し、砲弾は堅くなる。この砲弾を大砲で発射すると、鉛が(熱で?)融解して弾殻が開き、銅の綱がむき出しになって飛んでいく。これが被弾した船舶は、帆柱、帆やロープがみな破壊されてしまう。
私はこれをまねて蝴蝶砲子を製造したが、とても出来がよかった。私はひとまずこの変わった兵器のことを記して、世に広めることとする。

ざっといって、鉛の融点(327.46℃)が銅の融点(1084.4℃)よりも低いことをうまく使った砲弾ってことか。銅の弾殻の中に銅の綱を入れ、中に鉛を溶かしこみ、冷やして砲弾完成。そして大砲発射時の熱?で鉛が溶けて銅の綱がむき出しになり、相手の軍船の設備に突き刺さってダメージを与える(人間への殺傷力もありそうだが)。また、2尺=64cmほどの銅の綱ってのも直径13〜16cmの方向に納まる砲弾に内蔵されてるわけだから、折れ曲がって内蔵されているのだろうか。
この砲弾は、榴弾のように金属片でダメージを与えるのが目的でいいのでしょうか?本当にこの原理で砲弾が実用できるのかわかりませんが、阮元はおそらく原理を自ら(+幕僚たちと)考えたり、捕虜の海賊から尋問するなどして、実際に製造して成功させたんですよね。また、「蝴蝶砲子」というネーミングも、銅の綱が飛んでいくさまから命名したということでいいのかな。今の花火「蝴蝶砲」とは別物ということでいいのかな。また、工夫を凝らしたこの砲弾も、榴弾が一般化してしまえば、もはやただのあだ花ということで広まらなかったのかな。
うーん、この砲弾の実際のイメージが浮かばない。詳しい方はぜひともご教示を。また、何かこれを読んでインスピレーションがあった方もぜひともご意見くださいませ。

*1:『清史稿』巻364 阮元伝

*2:王章濤著『阮元年譜』(黄山書社、2003)

*3:蝴蝶 蝶のこと。『荘子』の「荘周、夢に胡蝶と為る」の胡蝶と同義。なお、「砲」は実際には異体字(石+馬+交)が使われている。なお、現在中国で「蝴蝶砲」といえば、火花を出しながら螺旋状に舞い上がっていく小さな花火を指すようだ。YouTubeを見ると、こんなのがある→http://www.youtube.com/watch?v=AiGuhhRGTQE

*4:1801年

*5:詳細は未確認だが、ベトナム系海賊のことか?

*6:浙江省台州府松門。現在の浙江省台州広域市の温嶺市松門鎮。東シナ海の沿岸部。

*7:清朝期の1斤=596.8gなので、その数千倍の重さか?なお、「記任昭才(『揅経室三集』巻二所収)」によると、阮元が鹵獲し、軍船に搭載した「安南大銅砲」は重さ二千余斤であったことから、1t強くらいの重さか?

*8:砲口の直径

*9:清朝期の1寸=3.20cmなので、その4〜5倍の幅

*10:弾殻の構造を示している。銅製の2つの半球は、中が空洞になっている。この2つを合わせて球の形とする。

*11:索はロープを指すので、ここでは銅の綱状の者を想定すればよいのか?

*12:つなぎ合わせることか。「綴」には「つづる、つらねる」等の意味がある。

*13:離れたりわだかまったりすること

*14:帆柱

*15:帆やロープ